堪忍袋の緒を締めろ!

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2009-06-01 しょぼくれた天気

_ [生活] プロジェクト入籍(5)いろいろ変更する

さて本籍地が変わったことに伴って、変更せねばならなくなった。

一番最初に行ったのは、世帯主をどちらか一方にして住民登録を変更すること。世帯合併とかいうらしい。これは別に婚姻前に行っても良いらしいが、野村はその手続き自体を知らなかった。住民票の写しをとろうとしたら別世帯だということが発覚したので、その場で世帯合併の届けを出したくらいだ。

で、本籍地が記載された住民票の写しを入手した。これは免許証の登録変更で提出する必要がある(住所変更と異なり、手元には戻ってこなかった)。野村は免許証自体の有効期限切れが来ていたので、免許更新と同時に変更した。嫁さんは裏にハンコ押してもらっただけ。

パスポートも変更が必要だが、当面海外に行く予定がないのでゆっくりやることにする。

姓が変わらなかった野村はこの程度の変更しかなかったが、嫁さんはハンコを作り変えねばならなかった。仕事場は旧姓のままで仕事がしづらいところらしい。なんだろうね、別人になったとでもいうんだろうかね。明らかに無駄な手続き。

野村のほうを嫁さんの姓にしても良かったんだが、それはそれで旧態依然とした方々から変な勘ぐりをされて気持ち悪いということで、最終的には夫側の姓を名乗ることにした。はっきりいって、無駄な議論。

嫁さんは仕事で使う国家資格を持っているのだが、これも変更が必要。で、これには戸籍抄本の写しを使った。書類を送付し、新しい免状が届くのを待つ。新しい大臣の名前で送られてくるんだろうか。


2009-06-03 曇っているな

_ [音楽] 聴きたい音楽

ふとXTCって今どうしているかなと思ってWikipediaをみたら、Colin Mouldingが脱退してAndy Partridgeひとりのバンドになっちゃっていた。うーん、流石にもう新作は無理かなぁ。

で、ふと気がついた。野村の中では、今の時代にXTCがどんな音を出してくれるのかという期待よりも、昔のXTCが新しい楽曲を作ってくれないかなぁという期待のほうが大きくなっていた。進化じゃなくて、派生を求めていたんだ。

「○○の新作が聴きたい」という衝動って、やや建設的じゃないのかも知れない。コムロっぽい曲が聴きたい、アムロっぽい曲が聴きたいという衝動に近い。で、実際にまがい品みたいな曲が流れてくると「これって○○のパクリじゃんか」みたいなウンチク垂れてみたり。全然建設的じゃない。

聴きたい曲は自分で作ったほうが早いかもしれない。実際、10代の頃はそうしていたなぁ。出来上がった曲の完成度は勿論10代のシロートのクオリティだし、それこそ冷静に見れば何かのパクリだったりもしているんだろうけれども、自分の中でメガヒットチューンなのは間違いないからそれで良かったんだ。

外からの刺激というのは、自分にないものであって欲しい。裏切られたり、思いもよらないから面白い。外からきっかけをもらって、後は自分の中でメガヒットチューンに昇華させていきたいんだ。

今聴きたいのはXTCみたいにガツンと来る個性なんだな。


2009-06-09 蒸すらしいぞ

_ [生活] 「……っぽいもの」

今更声高に「オリジナリティ」を語るつもりもないが、「……っぽいもの」を作ったり演じたりするのはやはりイケてないなぁとしみじみ考えた。

TVでタレントが芸人の真似をしてウケを狙う姿が、宴会芸にしか見えなくなってきた。また素人の宴会芸ではチャチなコピーほど喜ばれ、本物な出し物は嫌われる傾向にある。世間では宮崎アニメの話とは「カリオストロ」の話じゃないし、押井守は「ビューティフルドリーマー」や「紅い眼鏡」じゃないらしい。

世間は「……っぽいもの」のほうが喜ぶようだ。PCやネットの世界だってそうだ。何かに似ていて、何かのステレオタイプをうまく捕らえていて、底が浅いものが喜ばれているように感じる。とっつきやすいんだろうね、自分の知っている世界からかけ離れていないから。

それでも本人が本気ならいいんだ、道具がフェイクでも気持ちが本物だから。だが、大概は気恥ずかしくなって「……的なものを目指して」とか「……みたいな」という言葉を使って語尾をあやふやにしてしまう。野村もそうしてしまうことが多い、そういう大人になってしまった。

モノ作りをしているのなら、「これは……だ」と言い切れる強さを大事にしなければ。例えそれで周りにドン引かれようとも。


2009-06-16 ずぶ濡れ

_ [インターネット] 知的活動領域

インターネットで得られる情報の早さと深さには驚かされるばかりだ。Twitterとかもう、すごいよね。情報の正確さについて疑問視する声もあるだろうが、そもそも既存の情報伝達手段が必ずしも正確な情報だけを流していたわけでもない。「視る目」を養わなくてはならない点は一緒だ。

一方で、このインターネットに触れていながら全く知的とは思えない活動しかしない人々もいる。息抜きは大事だけど息抜きしかない人生ってなんだろうね。

ちょっと視野を広げるだけで世界中のすんごい知的活動に触れられる時代にあって、これからどんなどでかいことが起こるのか。想像したくても想像できない。

このワクワク感を、ぜひ多くの人々に感じて欲しいのだ。

ケータイ小説読んでいる場合じゃねーよ。


2009-06-17 一転、晴れ

_ [インターネット] 知的活動領域(追記)

昨日の日記はiPod Touchで書いた。書いている途中で就寝時間になってしまったので、なんだか訳のわからない文章になってしまったので補足する。

Twitterはフラットな会話(つぶやき)の展開がある場所で、例えば野村が著名な方のTwitterに対して賛同したり反論したりしても、全く問題ない、むしろOK!という文化が形成されている。2ちゃんねるだとヤジにしかみえないがTwitterは「野村がつぶやいた」という記録として残せるところが大きい。気軽さと、責任が適度なバランスで成り立っている。

Twitterは適度な責任感が、単なるヤジを一歩推し進めて「自分の意見」へ昇華させる手助けができる。単に人の意見を丸投げするだけでもいいんだが、まず情報の取捨選択という時点で自分の意見が反映されるし、そのうち自分の意見を書き加えたくなる(何せ全てが「入力フォーム」で繰り広げられているから)ように低いハードルが設定されている。

別にTwitterをほめる文章を書きたかったのではなく、こういったシステムを作り出すことができるインターネットって改めてすごいと思ったのと、こういったシステムに簡単に手が届く時代になったことがすごいんだ、と書きとめておきたかったのだ。

例えばこれは野村の日記だから、野村の思考や感情を書き留めておきたい。そういうシステムを欲していたからここに記載している。その延長線上に、もっと多くの人々の有象無象の思考や感情といった知的活動が存在していて、なんとインターネット上の様々なシステムは、それらを入手し、選択し、賛同したり反論したりしながら自分の知的活動に取り入れることができるようになってきているのだ。

インターネットの、この知的活動を大きく広げることができるパワーを当たり前に使いこなして育っていく世代の人々は、一体どうなっていっちゃうんだろう。それを考えるとワクワクする。

全然関係ないが、昨日日記を書いて分かったことがある。iPod Touchで書けるのはTwitterが限界だ。まとまった文章を書くには全く向かない。この点がこれまでのPDAより劣る部分だと感じる。入力に対する手軽さが全くなくて、道具が思考を妨げる感じ。慣れの問題?本当に?

_ [a3size] テスト

投稿テストです。


2009-06-19 暑くなる?

_ [ゲーム] Scaleform GFxの話

大崎で開かれたScaleform GFxのお話を聞くセミナーに行ってきた。このScaleformという技術は簡単に言うとFlashでコンシューマゲームのUIを作るという技術で、多分詳細は著名なFlasherの皆様のBlogを追いかけていただいたほうが早いだろう。

で、野村の私的なまとめとしては。

ゲーム業界にはこの20数年間で培われてきた業界のルールがあるということ(野村の大嫌いな言葉でいうとスキームって奴?)。Flashは後発、従ってFlasherは基本的に新参者としてゲーム業界に「やってくる」人という前提で話がなされていた。これには会場のFlasherの皆さんからブーイングが……、野村の心には聞こえてきましたよ、ええ。Adobeが開いたセミナーということもあってFlash歓迎なムードかと思っていたら、この仕打ち。

でも仕方ない。結局ゲームをゲームたらしめている部分はFlashで作らない前提だから。事例紹介されていたゲームはFlashゲームをコンシューマに移植したというもので、これはゲーム業界的には異端なんだろう。

ならば例えばUIパーツだけとか、Scaleformを使う部分を外注とかどうなんだろうか、とも思ったがこれも厳しいのかな。コンシューマゲーム開発に付きまとうライセンスと守秘義務の問題もあるだろうが、ひょっとしたらゲーム業界は部分的な外注という手法に不慣れなのかも知れないなぁ。いわゆる大作ゲームでも3Dモデリング部隊が大量動員というのは良く聞くが。

PCゲームの場合は、そこまで大変なことはなさそうだが、日本国内ではPCゲームは市場が小さすぎてワクワク感が薄い、というかない。それこそFlasherが一念発起しても仕事にならないだろう。

うーん、この技術は次の世代に向けての布石と思うしかないのかな。


2009-06-21 いやな雨だ

_ [インターネット] HTML5 vs Flashで思ったこと

野村はエバンジェリストでもないし強力なコネがあるわけでもないから、これはイチFlasherの戯言に過ぎないわけだが。

HTML5が強力なCanvasを実装したりメディア再生をサポートするわけだが、これはHTMLがマークアップ言語として必要な進化だと考えてみるとどうだろうか。画面に角丸を書いたりメディアを埋め込むために、わざわざ画像編集ソフトやFlashを立ち上げることはウザったいと思わないか。本質的には「そんなことはHTML(CSS)がやればいいこと」なんだ。ブラウジングされるべきその「ページ」をレイアウトし、情報を見やすく整形するのはHTMLの本分じゃないか。

Flashでサイトを作る意味は、情報の表現能力としてHTMLが非力だからFlashで代替するというだけなのか。それだけならば、HTML5が登場して、更にHTMLが進化すればFlashは不要になるだろう。

一方で、Webサービスが発達してブラウザという枠の中でアプリケーションが立ち上がっている姿に違和感を感じなくなってきた。いつの頃からか「ダウンロードしてきてインストールしなきゃいけないなんて、面倒くさい」と考えるようになった。ブラウザが表示しているものは情報だけではなくなった。つまり、我々はHTMLがやろうとしていた以上のことをブラウザという媒体と通じて行おうと考えるようになったのだ。

HTMLがその目的を挿げ替えてまで、ブラウザ上でアプリケーションとして動作しようとするだろうか。もしもHTML君がアプリケーションになりたがっているならば、それは無駄だからやめたほうがいいとアドバイスするだろう。なぜならブラウザ上で動作するアプリケーションのために「プラグイン」という概念がちゃんと存在していて、現にその目的を果たしているからだ。Flashはアプリケーションとして正常進化しているじゃないか。HTMLが、わざわざ自分自身の本分を見失ってまで路線変更することに何の意味があるのか。

HTMLはアプリケーションになりたがっているのではなく、やっぱりマークアップが目的なのではないか。であるならば、アプリケーションであるFlashとの共存は充分に可能だと考える。


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