ニッポンの人

ニッポンの人

 去年、スペインという国のカタロニア地方から来た方と話をしました。「友人」と呼びたいのですが、向こうが僕をどう思っているのか分からないので、そこまで図々しくはなれません。日本人体質ってやつですね。
 カタロニア地方といえばバロセロナです。オリンピックをした所ですね。僕が尊敬する建築家ガウディによる世界最大の大聖堂「サグラダ・ファミリア」のバルセロナです。
 カタロニアの方はカタラン語を話します。これは70年代から復活した言語で、それまではスペイン人によって弾圧を受けていた言語です。歴史学的に見ても、民俗学的に見ても、言語の弾圧はすなわち民族の弾圧であり、例に漏れずカタロニアはスペインによって弾圧された歴史を持つ地域(国家)です。
「友人」はイベントで、サルダーナという民族の踊りを踊るために来日しました。今年もやってくるらしいです。サルダーナは昼下がり、夕方くらいになると人々が広場に集まってきては踊り出す、とても簡単で、とても難しい踊りです。この踊りの輪がやがては何十人にもなり、さながら盆踊りです。毎日、盆踊りをしていると思ってください。乱暴な言い方ですね、失言でした。
 この踊りもカタロニアの民族の象徴です。当然、弾圧を受けていました。僕はつたない英語と、日本人にも難解な日本語で、「友人」に聞きました。
「民族の踊りを踊るということは、民族に誇りを持っている、民族を愛しているということか?」

 日本に生まれて、日本に育った僕には、愛国心が希薄なような気がします。それが日本人の特徴なのかも知れませんが、僕は日本を誇りに思えるような教育を受けなかったし、そういう気持ちになかなかなれません。
 戦争の反省から、「愛国心」=「戦前の危険な思想」という図式ばかりを教え込まれてきました。でも、この図式はおかしいと僕は思います。なぜなら、僕は日本語を母国語として、日本語を愛して生きているからです。
「戦前の危険な思想の根拠」=「愛国心」であったことは歴史が証明しました。ですが、この図式は可逆性でしょうか。

 カタロニアからきた背と鼻の高い女性、哲学を専攻しいているという「友人」は訛りのある英語と流暢なカタラン語で答えました。
「カタルーニャにも、他の民族の領土を奪ったような恥ずべき歴史はあるヨ。ニッポンだけではないヨ」
「友人」は民族の歴史を学んだのでしょう。その暗黒の部分も受け止めたのでしょう。そうなのだ、民族の歴史は自分の祖先の歴史なのだ。祖先を愛して何が悪いというのだ、その歴史を学び、それの上に立っている自分があるのだと気づかねばならないのだ。

 僕の祖先は富山にいたらしいのです。明治時代に札幌へと移民し、札幌村に住み、酒屋を始めたのが三代前の野村石松さまであったと記憶しています。
 僕は先祖の歴史に恥ずべき点があることを知っています。移民当時、蝦夷地には既に先住の民族がありました。彼らは狩猟民族でありながら、実に温厚な性格で、だから僕らの祖先が彼らの生活を踏みにじったときにも、彼らは蜂起しませんでした。それどころか山へ山へと引き篭もり、あるいは森を捨てて祖先たちと暮らし始めたりしました。これが、アイヌ民族です。

 だからといって、僕はニッポン語を手放す気にはなりません。過去の戦争に関しても僕らの祖先は間違いを犯しました。事実としてそれは存在し、僕らはそれを学ぶ必要があります。
 だからといって、僕はニッポン語を手放す気にはなりません。問題をいっしょくたにしてはいけない、「愛国心」は決して「だから祖先は正しかった」ではないのです。
「そういう祖先がいて、僕がいる」ということを恥ずかしいと思う、思わせる教育や思想は逆に危険だと思います。自分たちの立脚点を知る、それを受け止める、これが民族を誇るということではないでしょうか。