不器用な言葉

 人にモノを伝える言葉、自分を証明する言葉。
 昔は素直に感情を表現できたのに、語彙が増えるに従って、自分を覆い隠して閉じ込めることができるようになって、僕は何時の間にか「言葉足らず」になってしまったのです。
 僕は小さい頃からおしゃべりでした。うるさい子供でした。今でもおしゃべりでうるさい大人ですが、肝心なことを全く言わなくなってしまいました。長くしゃべるのは昔から大好きです。でも、肝心なこと、大事なこと、自分が一番言いたかったことを言えなくなってしまいました。
 不器用なおしゃべりは、誰にも理解してもらえません。

 プレゼンテーションが苦手です。人よりよくしゃべることができるせいで、こじんまりとまとまったプレゼンテーションを人前ですることができます。でも肝心の言いたかったことは全く言えなくなってしまいました。わざと隠すようになってしまいました。
 「それを言うとその瞬間にそれが嘘になってしまう」ような危機感を、あなたは感じたことはありませんか?
 僕はずっと、最近はずっとそのことで悩んでいます。

 言葉は技術です。習得すれば器用に使いこなせるようになります。でもそれだけです。口の巧い人が良いことを言っているとは限らないんです。言葉を習得して一番不幸に思えたことは、この言葉は悪いことにも使えるということでした。言葉が上手な人は、嘘を上手に吐けるのです。それは、本人の良し悪しに関わらない絶対的な事実です。
 プレゼンテーションの技術は、巧みに誘導する技術で、突き詰めれば極小さな嘘の積み重ねです。所謂「良い嘘」なんですが、それは同時に「悪い嘘」にも利用できる技術であるのです。そのことを知っていて、それでプレゼンテーションを巧くなれと教えられることは、僕には辛くて仕方がありません。
 へたくそになりたい。不器用な言葉で真実を語れるのならば、器用なセリフは要らないのでしょう。

 僕は言葉が好きです。美しい言葉も、力強い言葉も、はかなげな言葉も、愉快な言葉も大好きです。好きなモノにこそ、裏切られたくはないです。
 だから皆さん、嘘は吐かないでください。