世界遺産のある国(3)

 1992年に世界遺産となったアンコール遺跡は、壊滅しかけています。何百年もの歳月が、積み上げた巨大な石造物を砕こうとしているのです。
 手元の資料によれば、1989年にユネスコが基金を設置し、世界各地から修復のための学者・技術者がやってきています。日本からもJSA(Japanese Government Team for Safeguarding Angkor:日本国政府アンコール遺跡救済チーム)が1994年から実際に活動を始めたそうです。
 アンコール・ワットの次に有名なアンコール・トムのバイヨン。友人のテリーさんがそこで活動するJSAの皆様を紹介してくれました。団長の中川さんは早稲田大学教授という肩書きを持つ、若い女性と会話するのが好きそうな楽しいおじさんでした。

 遺跡は壊れていくばかりです。放っておけばいずれ崩れ落ちてしまうでしょう。でも、だからといってコンクリートや鉄骨で補強しても興ざめです。さて、どうしたものか。日本チームは、崩れそうなところの石をどけて、きちんと積み重ならなくなった石は同じ素材の石を同じ形に彫って、もう一度積み直しています。まあ、スケールの大きなジグソーパズルってことでしょうか。新しい石は彫刻なども復元するのですが、憶測で昔の形を復元してもだめだろうということで、現在残っている彫刻などと違和感無く解けこむように注意をはらったそうです。
 説明するとこの程度のことなんですが、この程度のことに至るまでに実に様々な思考錯誤があったのでしょう。

 遺跡を修復する、という行為は深い意味を持っています。単に人類文化の遺産を守っていくというヒロイズムではなく、なぜ直さねばならないのかから問い直していかねばならないからです。もしかしたら自然の成り行きにまかせ、朽ちてゆく姿を後世に残すことにこそ意義があるのでは?などと考えてみてください。もしくは、観光客が来て危ないから立ち入り禁止にしてしまおうとか、鉄骨で通路を組んで安全性に注意を払うとか、どんなプロジェクトでもこのような意見は必ず発言され、場合によってはそれが採択されています。決して間違った意見ではないのです。
 しかし、アンコール遺跡は敢えて観光客に自由に見学してもらっています(本当に危険が伴う個所は立ち入りが禁止されていますが)。遺跡の彫刻に顔を寄せても、べたべた触らなければ怒られません。そして、なるべく鉄柵などの異質なものを取り入れずに、通路として作られたところを歩いてもらい、石段として積まれたところを登ってもらうのです。このポリシーは、単に文化や思想といったものの差ではないような気がします。

 さて、どんな観光地でも「勘違い野郎」はいます。アンコール遺跡でも、夕日を観ようと登ってはいけない小屋の屋根に登る人々などをみかけました。何年か前に遺跡修復のプロジェクトに参加していたテリーさんは、敢えて何も言おうとはしませんでしたが、その人々をみていました。
 歴史学や建築学といったものを超えて、修復という途方もないテーマに臨んでいる人々がいて、いとも簡単に屋根の上に登ってしまう人々がいます。モラルがどうの、という次元のことではない絶対的な差があると僕は思いました。それこそ、積み上げられた石のようなものがあるのだ、と。