詫び状(1998/07/01)

詫び状(1998/07/01)

 これは、僕がある団体に向けて書いた詫び状です(結局、出すこともありませんでしたが)。7月1日に書いたものです。このまま消してしまうのも、どうかと思ったので、全文掲載します。


 ホームページ制作のアルバイトなどを経験し、人脈も増え、色々なイベントに関わらせてもらえた1997年でした。日々新鮮な発見の中、1998年3月には某団体のホームページ制作とイベント運営を手伝うことになったのですが、この団体のイベントでの経験(イベントは興行的に大失敗だった)から、ふと自分のやりたかったことがなんであったのかを見失いました。
 一度弱気になると、世界は豹変して冷たい風を吹かせてくるものです。
 色々な人が僕に色々な話を持ち掛けます。真剣に聞いていると、それが自分に要求されていることのように聞こえてきて、引き受けてしまいます。僕が想像している通りにことが進めば、僕の許容範囲で物事はすんなりと進行するだろう、と思い上がっていたのでしょう。断り方も知らないまま色々な話の全てを引き受けていました。
 僕は自分という人間の、ちっぽけな器を、どんなに大きく見誤っていたのか、恥ずかしい。
 持てるだけいっぱいの荷物を抱えているのですから、ちょっとでもバランスが崩れれば零れ出してしまいます。人間が集まって何かをしようとしているのですから、思い通りに動かないのが常なのに、僕にはそれを吸収するだけのゆとりはありませんでした。相手をよく知って、相手のことを考えて、とよく人は言いますが、僕には思い通りに動かない世界の方が信じられなくなりました。
 ごまかしながら少しずつ片づけていこう、とがんばってみましたがもう限界のようです。もとより僕は中途半端に物事を流すことはできません。ゆとりはない、ならば切り離すべき仕事を選ぶときが来たようです。
 以前誰かが「途中で逃げ出すのは簡単だが後で辛いよ」と助言をくださいました。せっかくの助言ですが、それは僕自身が皆さんに言いたいくらいの言葉です。僕は以前通っていた学校を卒業できませんでした。学校をどうするべきか、自分はどうあるべきか、そもそも教育とは何か、などと悩んだり苛立ったりするのに疲れて、あかんべえして逃げ出したのは僕です。そして無意味な世界を呪い、自分の生き方(つまり死に方)を真剣に卑屈に考えました。「逃げる」というのはそういうことです、そんなこと他人に言われるまでもなく知っています。
 前置きが長くなりました。結論僕は、今のままでは物事にどう優先順位をつけるのか、それすら自由を許されていないようで、とても辛いのです。もっと無責任な立場になって、もっと無責任に行動すればよかったのでしょうが、それは僕にはできません。止めるならば、完全に引く方が潔いし気も楽です。僕はこの団体に関わるのを止めます。

 今まで一緒に活動してくれた全ての人に感謝とお詫びを込めて。