不愉快な朝

家を出て最初に出会う大きな通りは日光街道といって、都心と埼玉・草加方面を結ぶ道路である。

今朝、信号待ちをしていたらこの日光街道を、救急車がサイレンを鳴らして右折しようとしていた。が、反対車線の車たちは止まろうとしなかった。サイレンに気づかなかったのかも知れない。丁度橋にかかる手前だ、ぐっとアクセルを踏み込みたくなるところだ。ものすごいスピードで通り過ぎていったそれらの車からは、救急車のサイレンも救急車も一瞬の出来事として過ぎ去っていったのだろう。

つまり(その救急車の目的は何も分からないが)救急車の助けようとした「何か」も、一瞬の出来事として過ぎ去っていったのだろう。

どのような権限があったのだろう。その救急車を右折させるわずかな時間よりも急ぎ通り過ぎなければならぬ優先されるべき何かがあり、彼らはそこまでしてアクセルを踏まねばならない何かを負って、つまりその結果を知り、受け止め、かつ、責任と使命と自負と尊厳を持っていたのだろう。

はらわたが煮えくり返る思いがした。