インターネットでのコンテンツとは

インターネット業界はコンテンツを血眼になっている。ライブドアが放送局を欲しがっている理由は知らない。が、野村ならばこう考える、欲しいのはこれまでのコンテンツを再販する権利とこれからコンテンツを作っていくうえでのノウハウだ。なぜならば、インターネットではコンテンツは絶え間なく公開され、かつ安価に大量にいつまでも生産し続けなければならないからだ。

これまでのメディアとインターネットが決定的に違うのは、圧倒的に量の勝負になるということ。テレビ局がどんなに大きくてお金持ちでも、同時に100も200ものコンテンツを展開したりはしない。が、インターネットは違う。一つ一つはチープでも構わない(お客さんが興味を示してくれるのならば)が、同じものを何度も観るお客さんは稀で、みんな常に新しいものや見たことのないものを欲しがるから、次々とその嗜好にあったものを提供してあげなくてはならない。

大手ISPがこぞってブログサービスを始めているがディスクスペースや回線への要求が肥大化して悲鳴を上げている、という記事が先日出されていた。このブログサービスも安価で大量のコンテンツを生成し提供するための作戦である。個人の日記をコンテンツとして扱うアイディアは90年代からあったが、便利なシステムが開発されてきたお陰でサービス提供者側がユーザーを「日記(コンテンツ)を書かせる」ことへ誘導しやすくなった。次なる一手は、その有象無象のブログをインデックス化し「魅せる」ためのサービスの提供であろう。これによりユーザーはよりすばやく簡単に、自分の嗜好にあったブログ(コンテンツ)へと誘導される。その速度が加速するということは、やはりここでも次々とコンテンツを提供し続けられるだけの量が必要となる。

……あぁ、結構な量を書いたなぁ(これでも2/3くらい削除したんだけど)。

文章を書くのにはそれなりの時間がかかる。自分の意見を整理し、矛盾や破綻がないか読み返す(そうなのだ、野村の文章も一応は考えたり読み返してから載せているんだ。なのにこの程度のレベルなのだ……)。だが、ひとたび公開すると、読むのは一瞬で終わる。

作曲したものを録音して1本のテープに纏めたことが何度かある。高校時代は大体50分テープ一本分に纏めていた。作曲し、編曲し、演奏し。野村は引き篭もっていたのでそれらを全て一人で行うわけだが、大体半年はかかっていたように思う。半年かけて50分。

コンテンツを作るという作業は、本来的には割に合わないものなのだ。だから、大量かつ安価にコンテンツを手に入れる方法を模索することに、みんな必死なのだ。