「……っぽいもの」

今更声高に「オリジナリティ」を語るつもりもないが、「……っぽいもの」を作ったり演じたりするのはやはりイケてないなぁとしみじみ考えた。

TVでタレントが芸人の真似をしてウケを狙う姿が、宴会芸にしか見えなくなってきた。また素人の宴会芸ではチャチなコピーほど喜ばれ、本物な出し物は嫌われる傾向にある。世間では宮崎アニメの話とは「カリオストロ」の話じゃないし、押井守は「ビューティフルドリーマー」や「紅い眼鏡」じゃないらしい。

世間は「……っぽいもの」のほうが喜ぶようだ。PCやネットの世界だってそうだ。何かに似ていて、何かのステレオタイプをうまく捕らえていて、底が浅いものが喜ばれているように感じる。とっつきやすいんだろうね、自分の知っている世界からかけ離れていないから。

それでも本人が本気ならいいんだ、道具がフェイクでも気持ちが本物だから。だが、大概は気恥ずかしくなって「……的なものを目指して」とか「……みたいな」という言葉を使って語尾をあやふやにしてしまう。野村もそうしてしまうことが多い、そういう大人になってしまった。

モノ作りをしているのなら、「これは……だ」と言い切れる強さを大事にしなければ。例えそれで周りにドン引かれようとも。