「電子書籍の衝撃」の衝撃

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というわけで日記のタイトルは完全にダジャレなわけだが、佐々木俊尚「電子書籍の衝撃」は面白かった。この本、もちろん電子書籍としてディスカヴァーから発売されていて、野村はiPod Touchで読破した。皆様にもオススメしようと思ったら、110円キャンペーンが終わってしまっていた。がびーん。

さてさて、この本を読んで色々と考えたことをツラツラ書いてみる。

良く云われる「なぜ紙の本を収集するのか」という問題。野村はマンガで本棚が埋まっているが、マンガは画集などと同様に紙面一枚一枚、右か左かも含めて全体を読むものなので、今のところ電子書籍には向かないから置いておくとして。また、図版が重要な書籍も同様だ。雑誌もここに含まれると思っていて、写真や図版が大きくて奇麗だから読みやすいという点が非常に重要と考えている。文庫サイズの雑誌は誰も読まない。なのでこれも横に置いておいて。

野村は電車で読んだりすることを考えて、小説はなるべく文庫で買うようにしている。可搬性を重視しているわけだ。一方でどうしても一刻も早く新刊で読みたい作品はハードカバーで買う。つまり、作品の配布形態が複数あることに対して、違和感は既に感じていない。ハードカバー→新書サイズ→文庫サイズと来て、電子書籍サイズになっただけだ。後は紙で持つ価値ということになる。

欲しい作品はハードカバーでも良いから買おう、と考える。ハードカバーか文庫か、そこには値段の問題もあるが大きさや形の問題もある。収納するにしても文庫の方が形が揃っていて楽チンなのだから、何かにつけて文庫の方がユーザーにとってメリットが大きい。なのにハードカバーを買うという行為は、その出版物の内容に加えて「付加的な価値」に対して魅力を感じているからに他ならない。発売されるタイミングもそうだが、例えば装丁や紙そのものに「付加価値」を感じているから、その分の金額を上乗せしても良いと思っているということになるだろうか。「紙の質感が好き」とか「紙はメモできる、付箋を貼れる」といった「価値」もありえるだろう。

あるいは作家や作品に対する敬愛を示すためかもしれない。好きな作家、好きな作品だから金額以上に支払いたいと思う気持ちだ。ガンダムオタクがガンダムと聞くとなんでも買い揃えてしまう行為、自虐的に「寄付」とか「お布施」とか呼んでいるその行為は、既に作品に対してではなく付加価値に対して値段を支払っていると考えられないだろうか。

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「作品の値段」+「付加価値の値段」=「本の値段」とした場合に、「付加価値の値段」をディスカウントした状態が新書→文庫、そして電子書籍となると考えれば、既存の紙を使った出版形態と電子書籍という出版形態は共存できるのではないか。作品そのものの値段で入手できる電子書籍が書籍のベーシックな配布スタイルになって、ハードカバーは所有者にプレミア感を与えてくれる嗜好品として存在する。とりみき&田北鑑生の名作SFギャグマンガ「ダイホンヤ」のような世界もあながち冗談ではない。

本を嗜好品として考えた場合、単にフォーマットが揃っているだけの新書や文庫は残念ながら価値が薄い。横に並べたときの美しさとかコンプリート感を得られるラインナップ(例えば作家の全集とか。あぁラヴクラフト全集揃えてねぇや)があれば俄然、嗜好品として買い揃える価値が湧いてくる。だが闇雲に刷られているだけの新書や文庫であるならば、結局それは値段以上の付加価値を提供してくれないので電子書籍のほうがいい。

後は単純に「文字の読みやすさ」という問題だが、これは経験や体質に依るところも大きいと考える。だが、「電子書籍の衝撃」の中で著者が述べているように、既にブログなどをデジタルの状態で読み慣れている世代にとっては、あまり重要な問題ではないのかもしれない。

日本では出版業界の障壁が高くてなかなか普及しない電子書籍だが、野村は潔く肯定派に回ることにした。だが紙の本が持つプレミア感も好きだ。多分これからは両方を見比べて、その時々でどちらを選択するか決めていくことになるだろう。