制作者が語る「普通の人」とは

先日、あるWEBサイトについて友人たちとTwitter上であれこれ考察していたときにふと思ったのだが。

自分は今、ユーザーとしてWEBサイトを評価しているのか、WEB制作者として評価しているのか、あるいは両方なのか。

WEB制作というのは、普通の制作作業がそうであるのと同様に、使い手(ユーザー)を意識して作業を進めていく。ユーザーはこれを望んでいるのだろう、こう思うだろう、ここで感動するだろう、などと仮説を立てて制作を行う。

制作中に立てられた仮説は、実際にサイトが完成して公開されてユーザーが使い出すまで証明はされない。当然ながら。

いや、実際には使い始めてもなお証明はなされない。一般に効果測定ということでいえば、アクセス数や口コミ数(いわゆるバズですな)、会員登録機能があるならば登録数、ECサイトならば購入数といった数字で計ることができる。だが厳密な意味で云えば、「ここにAというムービーを置いたからアクセス数が増えた」という風に、やったこと(施策)とその効果が奇麗に対応付けられることは少ない。宣伝の成果かも知れないし、カラースキームを変更しただけで好感度が上がったのかも知れない。本当はユーザーが嫌悪感を抱くムービーを置いたのに、それ以外の施策がユーザーにとって魅力的だったのでユーザーは我慢してアクセスしているだけかも知れない。

では数値に反映されない部分の評価を、例えばネット上で評判を集めるとする。だが、ネットを利用しているユーザーのうち、ネットで情報を発信している人がどれだけいるか。残念なことに、WEBで話題になったサイトの評判を検索すると、上位に来るのはWEB制作者たちの評判だったりすることが多い。WEB制作者たちはWEB利用者としても優秀なわけで、利用者として純粋に評価してくれているのであれば確かに有り難い。だが、どうしても制作者視点や私情も混じるだろう(なにせ狭い業界なんで、誰が携わったとかすぐに分かる)、少なくともそういった疑いを拭いきれない。

ジャンプなどのマンガ雑誌が読者アンケートの結果によって連載作品の評価を決めるという話をよく聞く。マンガ雑誌の読者アンケートにハガキを送るのは、読者の中でも偏った層に過ぎないという噂も聞く。だが、マンガ雑誌の読者アンケートには漫画家たちや編集者たちが真っ先に投稿する、という話は聞いたことがない。

WEBは未成熟な世界で、今はまだ身内(ライバル含む)が身内を評価しあうことで鍛えあっていくしかないのかも知れない。だが少なくとも、自分たちがフツーの人なのかどうか、フツーの人はどう思っているのかは、常に疑ってかかるべきではなかろうか。