CDを捨てる決意

久しぶりの日記である。今日は現在進行中の壮大な計画について書く。

中学生のときに初めて買ったTM Networkの「Seven Days War」のシングルCDも含めて、今日まで買ったCDの全てを捨てずに持っていた野村であるが、そのコレクションの大半を処分することにした。

理由は、その体積が生活空間を圧迫しているから。代わりにそれらの音源はデジタル化して保管することにした。音楽の価値は(圧縮時に欠落する情報があるにせよ)それほど下がらないだろうと考えたからだ。ライナーやジャケットを手放すのは忍びないが、棚晒しにされて陽に焼けている時点でどうかとも思うし。

で、毎日十数枚ずつ棚から下ろしてリッピングするという作業を繰り返している。CDの量は以前の半分くらいにはなったろうか。まずはジャケットやライナーが気に入らないもの(廉価版、汚れが酷いなど)や、人気が高すぎてわざわざ自分が所有していなくてもすぐに何らかの手段で再入手可能と考えられるもの(サザンなど)、今や化石といえる8センチCD、後は自分でも何故これを所有しているのか分からないくらい趣味の悪い作品(具体例は……いえない)から始めた。

CDをMacBook Proに差し込んではリッピング……、という機械的な作業の繰り返しは、CDという物質の価値について考えさせられる。次々に積まれていくCDを見ていると、その物質とともに過ごした日々が思い起こされる。だが仕方ない、もうこれ以上CDは棚に入りきらない。そして、CDという物理的なメディアを購入し続ける限り、この廃棄という行為はいずれまた行わねばならないのだから。

問題はこれからの音楽を購入する方法だ。iTunesなどからダウンロード購入するのも良いが、日本では思った以上にDRMフリー版の販売が少ないし、Sony系列はいつまでも頑としてiTunesには配信しないし。結局CDを購入してリッピングしてそのCDを手放すという、かなりエコ(エコノミー、エコロジー)的に無駄な行動をとることになる。こんなに文明が発達しているのに、無駄と分かっていることを強いられるのはどうなんだろう。

ところで、CDを大量にリッピングすると、CDの質によって明らかにリッピングの作業スピードが左右されることが分かる。保存状況にもよるのだろうが、80年代後半のCDは最近のCDと比べてエラー補正していると思われる時間が長く感じる。また、いわゆる激安CD(高速道路のサービスエリアで売られていたりする)もエラーが多いみたいだ。CDにパッケージされた時点で情報はデジタルに変換されているはずなのに。CDの盤面をみて「うん、このCDの焼き具合はいいね!」みたいなことをいう人がいる、っていうのは都市伝説なんだろうと思っていたが、思った以上に深刻な違いがあるようだ。野村も今度からCDをみたら焼き具合を確認してみることにしよう。「うん、これはレアだね」とか。