今月観たクソ映画「インシテミル」とその原作について

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野村が好きな小説家の一人である米澤穂信の「インシテミル」という作品は、ミステリー小説だ。ジャンルとしては「孤島」ものであると同時に、「ミステリー好きのためのミステリー」が舞台となるミステリーという趣向になっていて、推理を要求される状況(演出)に巻き込まれる登場人物たちの心理戦がストーリーのメインとなる。

その「インシテミル」が映画化されたのが「インシテミル 7日間のデス・ゲーム」というクソ映画である。

如何にクソ映画であるのか。演技でも映画的演出でもなく、原作の改悪にある。そもそも前述のように「ミステリー」であること自体がこの小説の醍醐味であるにも係らず、なんとこの映画には「ミステリー」がない。

この小説を映画化するにあたって、脚本家は尺の都合上どうしても原作の要素を削らねばならなかったに違いない。登場人物を十人に減らして、事件のいくつかをカットしなければならなかった。だが、そこであろう事か「そうだ、『ミステリー好きのための演出』は一般受けしないからごっそり削ろう!」と思い至ったようなのだ。つまり、原作から引き継いだ要素は「舞台装置」と「奇妙なイントロダクション」だけなのだ。

もはやこれは別作品。いうなれば「二次創作」に等しい。こんだけの俳優陣で描かれた壮大な同人映画である。

ミステリーの要素が無いミステリーなので、ただ単に人が死んでギャー、人が死んでギャーの繰り返しである。命を粗末にするな、と云いたくなる。ミステリーで命の尊さを語り出したら、それはギャグにしかならない。つまりこれも「ミステリー好き」のための趣向なのだから。

奥行きが無い登場人物の背景描写も気持ち悪い。ただ、原作では登場人物の過去や黒幕の実態についての描写は非常に淡白で、かなり好みが分かれるところだと思われる。なんとか一般受けを目指して「理由をこじつけた」あたりの努力が伺えるが、その結果原作では誤摩化されていた「舞台設定のチープさ」(野村はチープにみえるように意図されたものではないかと推測しているが、それはファン心理なのかもしれない)が、この映画でははっきりと映像化されてしまった。近年まれに見るチープなオチが訪れて、観るものの口を閉じさせてくれない。

というわけで、今月借りた映画の中からいち早くこのクソ映画について、原作ファンとしてケチをつけるべくこの日記を書いた。この日記を書くにあたって原作を読み直したりもした。うっかり間違ってこの映画を観てしまった方にはぜひ原作をオススメする。そして原作を読んだ方にはこの映画はオススメしない。