「文章のどこかに『生成AI』を入れてください」

すごいなぁ、とは思うんですよ。生成AI。文章にしても、絵にしても、音楽にしても。

自分だってAIをまったく使っていないわけではない。いろんなプログラミング支援AIを試してみて、今はGitHub Copilotに落ち着きそうだ。

プログラミング支援AIは、そのサジェストの出し方、手の差し伸べ方が非常に上手い。冗長な内容の入力途中で残りを補完してくれる、というものならこれまでもあった。最近は、変数名の付け方がちゃんとしているとその単語の意味まで理解して補完してくれる。

この間ですね、emailvalidationという名前の関数を使ったif文を書いていたら、変数messageを作ろうとしたらそこに"メールアドレスが違います"を代入してきたんですよ。へえ、AI君やるじゃない、と思うでしょ。それで、そのmessageを仮想配列に変えて"ja"というキーをつけたら、今度はAIがその次の行に"en"をキーにして"email address is incorrect."って書いてきたんですよ、これにはまぁ驚いたねぇ、頼もしいわぁAI先輩かっこいいっす。

こういうの、本当に自分たちが望んでいた未来のコンピューターな感じがして嬉しい。執事ってこういうものだよね。言わなくても察する、先回りして準備しておく、押し付けがましくない。我々はこういうものを求めていたんだ。

でもね。

「対話型の生成AIに、こういう文章で質問を投げるとこんな答えが返ってくるんですよ、すごいでしょ」

と言われたら、それは本当に「未来」なのか、納得できかねる。

「こういう文章で質問を投げる」ノウハウ自体で一喜一憂している様が「未来」じゃない。コミュニケーションが苦手な性格の人間にはAIとの対話にもハードルがある。人間の側が自分の考えていることをうまくアウトプットできないとなれば、今はまだAIのほうでもそれをうまく汲み取れない。そこは人間と変わらない。むしろAIはカメラや音声でこちらをのぞいているわけではないので文章という限られたインプットから察するしかない。「こういう文章で質問を投げる」ノウハウとは対AIコミュニケーション能力とも言い換えることができて、現段階でそれをうまくできる人はそもそも自分の考えをうまく文章化してアウトプットできる人で、おそらく実生活においても他者と円滑にコミュニケーションできるんじゃないだろうか。

前述のプログラミング支援AIが自分にとって心地よいのは、プログラムの世界ではコンピューターに対して正しいプログラムを書いてあげる能力がそもそも必要で、それはコンピューターに対してのコミュニケーション能力と言い換えることもできる。AIも同じプログラムを読むことから、プログラムを介して間接的にAIに対してのコミュニケーションが成り立つ。AIに対して直接話しているわけじゃないが同じ方向を向いて同じ言葉(プログラム)で対話が成立するから心地よいのだ。

AIを使うノウハウなんてものは一過性のブームだ。本当にAIが賢くなる未来においては、必要なのは人として極めて一般的なコミュニケーション能力であって特殊なノウハウではないはずだ。その未来はすぐ来るだろうから一喜一憂することじゃない。AIを使う、というのはすなわちコンピューターと共に生きていくライフスタイルそのもののことだと思う。それは、人間の生活を助けるように寄り添ってくれるものであって、人間がご機嫌をとりにいくようなものではない。

AIが寄り添ってくれる未来とはコンピューターの活躍する未来として、20世紀の頃からずっと我々が想像してきた未来のまんまであるはずだ。