「サービスで」行う作業

中・長期的なプロジェクトや開発・運用の仕事では、ちょくちょくお客様からのリクエストに応える形で「時間外労働」やら「範疇にない作業」をすることがある。例えば、PCに詳しくないお客様の端末のウィルスチェックを行ったことだってある。ひとつひとつが小さく短い作業であった場合、お客様が困っていて手を貸して差し上げるつもりで引き受けたりする。

が、積もり積もればそんな作業も、実際にはホイホイ引き受けるのは問題なわけで。特に、これは「サービスで」行っている作業だということを気づかない、或いは気づいていても考えないお客様は、際限なく「サービスで」作業を要求してくる。

途中まで行っていた作業を、いや実はこれは「サービスで」行っていた作業なんで本来業務に支障をきたすようであれば別途請求差し上げますが、なーんて話をする。するとそういうお客様に限って、なんだこのボッタクリが、みたいな態度で挑戦してくる。薄情だ、傲慢だと罵られ、そんなら最初っから言ってくれなきゃ困るとまでいう。

野村は、人に「サービスで」何かをする場合には勝手ながら見返りをもらうことにしている。それはお金やモノといった目に見えるものではない。その人と時間を共有したりプロジェクトを共有することで得られる知識や経験や快感である。多くの場合、大小様々ではあるがそれは得ることができる。野村は自身の中でそれを満足できるものとして受け止め、価値を見出していくことを努力している。そんなに難しいことではない。結果、気持ちよく「サービスで」作業ができるようになる。

だが、限界はある。野村はそれを、もう得られるものが無くなったとき、と考えている。一緒に仕事をする価値は、もう金銭でしか得られない。となれば、これ以上は「サービスで」行うわけにはいかない。

目に見えないものを計るのは難しい。が、要するに「無茶なことを言うな、ボケ」である。「考えなしにホイホイものを言うな、へぼちんが」なのである。

ちと国立競技場まで行ってきます

今日は会社の同僚に誘われて、国立競技場まで玉蹴りを見に行きます。ブロンクホルストって画数で選んだ名前なのかなぁ。