先日、MiAUのサイトを参考に私的録音録画小委員会にパブリックコメントを提出したのだが、その後行われた小委員会では「個人からのパブコメが8割、うち7割がネットのテンプレ」と報告され、なんというか自尊心に傷がついた。
いや、いいじゃねーか、皆がそれを採用したということは、それが「使いたくなるような」テンプレだったんだよ。
パブコメを自動生成するジェネレータがお手本としてあったわけだが、野村はかなり書き直した。順番も入れ替えたし、野村の見解と異なる部分は書き換えたり削除したり、付け加えたりもした。そんなにお手軽じゃないんだ、テンプレってだけで片付けないで欲しいぃぃ。
パブコメの大半は「ダウンロード違法化」についての話題になってしまったようだが、野村がこの問題について引っかかっているのは、
- 「違法なダウンロード」を証明する方法が不明瞭
この問題は、前提として(違法ダウンロードを監視するための)盗聴を合法化するかどうかの論議も必要だと思うし、「未必の故意」と「認識ある過失」問題もついて回ると思う。市民感覚で考えると罪の軽重が微妙なんだよね。赤信号渡っちゃったのか、麻薬に手を出したのか。
そこに加えて「情」などという思考停止な概念を持ち出してきているキワモノっぽい説明が胡散臭さを増している。
- 個人の情報発信者がないがしろにされている
免許が必要な放送分野と異なり、個人が自由意志でいつでも情報を配信できるインターネットの世界にあって、情報発信者側に「過度の」負担がかかるような事態は避けたい。
例えばこの日記が「合法である」ことはどうやって証明できるのか。野村が個人で「合法マーク」とやらを取得しろ、というのか。例えば野村が音楽を発表したいなら[JASRAC][2]などの管理団体の加護を受けろというのか。それは脅迫というか、パワハラじゃないの?
- いたずらに消費者を脅している
小委員会は詐欺や恐喝をやらかす輩の可能性を軽視していると思う。「おたくのPC、違法ダウンロードされたファイルがありますぜ、罰金刑です」みたいな詐欺、恐喝の類は簡単にできてしまう、いや、今でも可能だ。
この手の詐欺に対抗するには消費者に正しい知識を啓蒙していく必要があるわけだが、「合法マーク」みたいなトンチキなアイディアを真顔で言い出す人には無理なんじゃなかろうか。例えばベリサインのバナー(が本物かどうか)をちゃんと確認している消費者はどれだけいるのか知っているのか。なぜフィッシングサイトに引っかかる消費者がいるか分かっているのか。
この小委員会でのこれまでの検討では、その辺の感覚が中途半端に見えてしょうがない。
といったあたりか。
この問題についてはダウンロード違法化賛成側の説明力不足が問題を複雑化させているような気もする。著作権を守るための法整備の必要性というならば、上記でも述べたように個人もこの法整備によって保護される側の立場に立つことになりえる。著作隣接権を商売のタネにしているひとたちが「俺たちの権利を!」と声高に叫んでばかりいて、著作隣接権を他人にゆだねていない個人が無視されているのは納得がいかない。野村の作った音楽は誰かに守ってもらいたい前に野村が守りたい。でも、そのために補償金制度が必要とは思わない、だって野村には一円も入ってこないから。
なので野村の意見は、ぶっちゃけていえば「目的が分からん不自由は容認できない」。利権なら利権とはっきりいえばいいんだ。民主主義と資本主義を一緒にしないで欲しい。
てなわけで、MiAUが「大感謝祭」を企画しているそうで。無名の作家(音楽家、小説家、詩人、パフォーマー)に幸あらんことを祈って……。