続いてSony。
PS3の「リトルビックプラネット(LBP)」はパッケージ内に用意されていたステージが全て終了したところで一旦休憩。ステージの最後で「さぁ、次はコミュニティに行こう!」とキャラクターから訴えかけられた。一見、引き篭りに対して厳しいゲームだ。
だが、コミュニティといってもユーザー同士がガッチリムチなコミュニケーションをはかるわけではない、ユーザーの作ったステージを遊んでみてプリセットされた評価軸で評価するというだけの適度な距離感が素敵。
ネットでゲームというとリアルタイムな対戦が真っ先に思い浮かぶが、それだとユーザー同士のレベル(というかそのゲームに対しての真剣度というか)の差が軋轢を生みかねない。所詮はその瞬間の軋轢でしかないので、ぷいっと別のパートナーとの対戦に切り替えられる度量がユーザーにあれば問題ないが、そうできないユーザーもいるだろう。コミュニケーションの責任をユーザー自身の責任に負わせている部分が、どうにもリアルすぎて気持ち悪い。バーチャルになっていない、バーチャルになりきれていないように感じる。
PS3の新サービス「PlayStation Home」でも同様の部分が気になっている。野村はまだ「PlayStation Home」では自分の部屋から一歩も外に出ていない。なぜならアバターの顔がリアルすぎて気持ち悪いから。アバターは仮想空間での仮想の自分だと判っているが、だからといって「ヘイヨー」といいながら腰をくねらせて歩く米国人のようなアバターは要らない。最近のFFシリーズみたいなカッコイイ系の顔ばっかりが用意されているのも気持ち悪い。全然バーチャルじゃない。
「LBP」は明らかにバーチャルだ。リビッツと呼ばれる布人形が出てきて「これがあなた」と云われてしまうバーチャルっぷり。しかも自分の星が持てるというバーチャルっぷり。でも重力などの物理演算がしっかりしていてバーチャルだけどウソじゃない世界がちゃんと存在できている。
ゲームに対して何を望んでいるのかの違いだとは思うんだが、「Second Life」とか「PlayStation Home」を観て、これが僕らの望んだ未来だったのかなと考えると寒気がするんだよなぁ。
「428」
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年末商戦ももう終わりということで、各ゲーム機のテコ入れもほぼ出尽くしたようだ。というわけで野村が最近やったゲームの話。まずは任天堂から。
DSの「カルドセプトDS」はストーリーモードが終わったのでちょっと休憩。
Wiiの「428」は、まだちょっとしかやっていないけど面白いね。基本的に文字を読んで選択肢を選ぶだけ。ゲームシステムに革新的な部分はほとんどないから注目度は低いのかもしれないが、ゲームそのものの面白さはしっかりある。
それはすなわち「ストーリーの面白さ」。ゲームという非日常の時間を如何に演出するのかという点での秀逸さがあるということ。優れたゲームは、押並べて優れた「時間泥棒」である。ユーザーを飽きさせないようにユーザーに奇抜な操作を求めることも大事だが、画面に釘付けにすることでも時間は盗める。「428」は古臭い分類で言うとアドベンチャーゲームと呼ばれることになるが、アドベンチャーゲームはユーザーに対して熟考した次の一手を要求する詰め将棋のようなものだ。野村はアドベンチャーゲームが大好きだ。