Macはいろいろなものを隠す

Macばかりを触っている。気がつけばMacのことを褒めていたりする。これまでWindows使いだった野村がこれほどまでに転身できるのだから、Mac恐るべし。

しかしいくつか気に入らない点もある。その、気に入らない点のほとんどはMacの思想と自分が合わないがために起こっているものだと分かっているのだが。例えばHDDのアクセスランプがそうだ。

MacBook ProにはHDDのアクセスランプがない。もちろん「HDDの動作を気にしないでもよいですよ」というユーザー本意の考え方から外されているものだと解釈している。だが、HDDへのアクセスは現在のPCにおいて日常的に行われている動作である。HDDへアクセスすることで次の動作が行えるようになる。すなわちHDDへのアクセスは、PCの生命活動といってもよいのではないだろうか。アクセスランプは心電図のようなもので、PCの状態を表現するのに簡潔な手段の一つではないのだろうか。

WindowsのマシンといえばHDDアクセス、そしてその駆動音が……、というイメージがあることは事実だ。だからWindows機においてはHDDのアクセスランプが重要である。だがマシンとして考えればMacであっても、アクセスランプという直接的な手段であってもそうでなくても、何らかの形で使っている人間に対して意思を表示してほしいときもあるのだ。

電気自動車が静かすぎるので、わざと音を出そうと研究されている。笑い話だな、と聞いたときに思った。しかし、MacにHDDのアクセスランプが欲しいと云っている自分もここにいて、それはなんとも奇妙な気分なのであった。