Twitterのせいですっかり日記を書かなくなった。長文を書く練習を怠るのはよくないことだから、なるべく日記は書きたい。だが、日常の些末な出来事を書き留めるのはTwitterのほうが早い。
日記を書くときは、自分の意見をまとめ、論理の構造を(これでも一応)考える。文章と馴れ合う時間とでも云おうか、思考を言葉でこねくり回しているこの時間こそが日記の本懐であろう。内的なもの、思考や感情と云ったものをアウトプットするときにそういった「タメ」が一瞬ある点がTwitterと異なるのではなかろうか。
否、Twitterでもそういう「タメ」を作ればいいのだろうが、そういった発想をさせない空気感があのサービスにはある。TimeLine(TL)と呼ばれる、時間軸の持つパワーが、使う人を高揚させているという印象がある。
古い時代の映画や小説の描写ではよく、一日の終わりなどに日記のための時間を設けている人物が描かれる。実際のところ、どうなんだろう。ちょっと意識的にそういう時間をどこかに作ってみたいと思う。思考をまとめる「タメ」の瞬間。