唐突だが、この悶々とした師走の空気の中、かねてより何処かに書き留めておきたかった「巻き込まれ型」の物語のポイントについて、ここに記そう。この通りに物語を作れば、あなたもイマドキのストーリーテラーになれるかも!
「巻き込まれ型」の物語とは、昨今の男性向け、女性向けのコミックやライトノベルを含む比較的ライトな小説、ドラマや映画などに見られるプロットのうち、主人公が「巻き込まれる」ことで物語が進行するタイプのものについて野村が独自でつけた呼称である。もしかすると学者や団体などによってそういった類型を呼称する尺度やネーミングが作られているかもしれないが、野村はそんなことは知らないので勝手に話を進めさせてもらおう。
特にゼロ年代以降の「巻き込まれ型」の特徴として、主人公Aは無気力で事なかれ主義な省エネタイプで、他人に干渉しないという主義を持ち、人生の目標が無難、中立、普通、安定といった類の方向に定まっている。友達がいないわけでもなく、さりとて人気者というわけでもない。頭脳も普通(バカではないが超がつく天才でもない)、運動神経も普通。
そんな主人公Aがある日ばったり出会うのが破天荒で常識に捕われない、次の行動が予測できないタイプの人物である。これを人物Bとしよう。同性でも異性でも構わないが、大抵の場合主人公Aよりも美形で、運動神経か頭脳か或いはその双方が優秀で、にも関わらずその長所をまともな方法で生かそうとはしない人物だ。主人公Aは人物Bに「巻き込まれて」災難に遭うところから物語は始まる。
主人公Aは人物Bについて、最初は反りが合わず出来るならば遠ざけたいと思っている。だがどうしても離れて行動することができないし、人物Bは主人公Aに対して馴れ馴れしい。人物Bの言動に次々と巻き込まれていく主人公Aは、やがて人物Bの行動原理や目的、または人物Bの出自など思考を形成するバックボーンに気づき、同情し、同調するようになる。そして訪れるターニングポイント、主人公Aは人物Bのために自らの信条を曲げてでも事象に関わろうとするのである。
さて、この手のプロットでは主人公Aは凡庸でありたいと考えていた筈なのに、なぜ先の見えない人物Bに加担するように心が動くのだろうか。そういう物語が世の中に多いという事実それ自体が語っているように、多くの人が「凡庸であることが世間では正しいとされているが、本当は型を破りたい」と願っているからではなかろうか。
物語を書く際の手法の一つとして、その時代の読者層に合わせた登場人物を出すことが挙げられる。こうすると感情移入がしやすくなるからで、上記の「巻き込まれ型」の場合は主人公Aがそれに当たる。言い換えれば主人公Aは日常で、対する人物Bは非日常を表現していることになる。非日常はこの物語を物語たらしめているフィクションの部分である。フィクションが魅力的だから物語を読むわけで、つまり人物Bは主人公Aと比べて非日常的で魅力的だ、ということになると野村は考える。
この「巻き込まれ型」の物語、最近では実に多くなってしまったが故に陳腐化した感も否めない。だがかつての勧善懲悪ものと同様に、ゼロ年代の王道プロットとして、確実に生き残っていくことだろう。ぜひこのプロットで、誰か面白いの書いてくれ。