MacBook Pro Retinaモデルをまだ買わないと決めたショボイ理由

銀座の店頭で話題のRetinaモデルなMacBook Proをみてみた。

Retinaディスプレイは、iPhone(iPod Touch)で観たときに「うぉぉぉー!」と思った。iPadで観たときに「なるほどー、こりゃいいわ」と思った。で、MacBook Proでみたとき、残念ながら「うん」としか思わなかった。

どういうことかというと。

iPhoneの大きさで高精細なグラフィックをみると、これはコンパクトな情報端末としてのある種の完成形を見た気がした。情報を詰め込んでいる感じが凄く伝わってきた。

iPadの大きさで高精細なグラフィックをみたとき、これは紙が要らないなと思った。字が綺麗で目が疲れない。

だが、MacBook Proでみたときは、特に何も驚かなかった。3回目だからインパクトが薄かったのか。いや、それよりも用途の違いだろうか。

店頭で見たとき、これまでのモデルと比べて作業領域や操作性がどれくらい変わるかという点を注目した。これまでのRetinaモデル同様、基本的には非Retinaモデルと同じ寸法の表示領域に4倍の情報を詰め込むので、寸法という点からみると作業領域や操作性は変わらない。現物をみて最初に思ったこと、それは「あ、テキストが4倍表示されるわけじゃないんだ」(註:設定すれば可能なのだろうか?店頭でそこまで試せなかったし、その前に心が折れた)という、至極当たり前の、過去2回のRetina体験やカタログスペックで既に分かっていた事実の再確認であった。

そうなると、野村個人の趣味的な観点で考えれば、15インチは大きすぎた。もしも何の特徴もない製品だったとしたら、2kgの15インチマシンは選択肢に入らない。

これからノートパソコンのディスプレイは、各社とも精細化していくのだろう。そしてそれが当たり前になっていくのだろう。高精細ディスプレイが当たり前になったとき、自分の手元にあるマシンが15インチだったら……野村個人の趣味的な観点でいえばつまらない。

だから。

金が無いので買いません。