ここ最近は「なんでそんなことで怒っているの?」と云われると逆に「なぜこんなことで『怒っている』とアナタは感じとったの?」と考えるようになってしまった。
そもそも他人の感情を怒っているか否かの非常に目盛りの少ない尺度で測ろうとするのは、非常に心が狭い、想像力の貧しいことなんじゃ無かろうか。
人のことを「怒りっぽい」と評する人は、「怒る」ということに関して尺度が狭い、怒りっぽい人なんじゃ無かろうか。そういう人に何か云うと「なんでそんなことで怒るんだよ!」と怒られるのだが。
……という風に考えてしまうのだが、それは野村がひねくれているからだろうか。
ところで、4月はなるべく日記を書こう月間なので、ネタが思いつかないときはかねてより溜め込んでいたネタを書きます。例えば今日がそれに該当します。