フィルムカメラ再開

こうみえても昔はカメラ小僧だった。ただ、昔というのが15年近く昔で、その頃のデジカメはまだ「メガピクセル」というのがセンセーショナルな響きというレベルだったもんだから、当然カメラというのはフィルムカメラのことだった。

持っていたカメラは父のお古のCanon A-1という機種で、マニュアルフォーカス(MF)だった。既にオートフォーカス(AF)機が主流だった(Canon EOS Kissがデビューした頃で、EOS 5の視線入力AFとか憧れたもんだ)が、本体も高いしレンズのマウントも違うため(A-1はFDマウントで、EOSはEFマウント)、父や知人からもらったレンズが勿体なかったのでずっとA-1を使っていた。また、その当時は現像は自分ではできなかったので、本当に撮るだけ。ひたすら撮るだけだった。

その後A-1は、内側のモルトがボロボロになったためレンズ等一式もろとも父の元へと帰し、時代の流れだ仕方が無い、ということで葬ってもらった。そんなに対した機種では無いが、諸々思い出深い機種であった。

そして現在、どうしてもデジタル一眼レフが触れない自分がいた。

AFが分からない。現在のデジタル一眼レフはいろんなことができるようになっているのに、一番やりたいことが上手くできない。

野村にとっては写真を撮るという行為の中で「ピントを自分で合わせる」ということがどれだけ重要なウェイトを占めていたのかを痛感した。

で。買っちゃったのだ。

現在でも新品が手に入る35mmフィルムカメラ、NikonのFM10。プラスチックのチープなボディから受ける第一印象は、申し訳ないが「高級トイカメラ」だった。ファインダーを覗くポーズを取るとプラスチックなフィルムカバーに顔の油がくっきりべっとり残るし、巻き戻しノブはへにゃへにゃして頼りない。

それでも、自分でレバーを引くリズムとか、ピントを合わせて画面を作っていく達成感とかは、間違いなくカメラだ。まるで、あぁ助かったこれで息ができる、と海面に顔を上げて一息つくような感覚だった。いや本当に、大げさじゃ無く。デジカメ触っているときの借りてきた猫な居心地の悪さと比べたら、本当に安心できる。

時代に取り残されているのは分かっているのだ。カメラの腕前は自慢できるようなものじゃ無い(自慢できるようなものなら止めていない)し、現像もスキャニングも前途多難だ。でもさ、しょうがないじゃんか。

で、もののついでなので生まれて初めて「現像」にも挑戦してみた。……のだが、上記の写真をみていただければお分かりのようにひどい有様であった。この話はまたいずれ。