2010

2010-12-27 12月に観た映画の話をしよう(2)

アル・パチーノとロバート・デ・ニーロ主演「ボーダー」。この二人の競演となればもっと注目されても良かった筈なのに、この映画が公開されていたことすら野村の記憶に無い……。それもその筈だ、この映画、それほど盛り上がらない……。演技は面白いんだが、逆にその安定感のせいか、全体的に予定通りにことが進み過ぎる。

ギリシャ神話を描いた「タイタンの戦い」と、ギリシャ神話をモチーフに現代を舞台にした「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を偶然にも立て続けに観た。

「タイタンの戦い」は神話の世界をそのままVFXを駆使して再現するという趣向。この趣向ならば、例えば往年のスペクタクル映画を思わせる映画らしい壮大さが生まれれば吉、或いは「300」のようなどことなくファンタジーな雰囲気も吉だろう。ところが、往年のスペクタクル映画の様相ながらVFXを使ったせいでチープな印象を与え、ファンタジーとしては描写の妙が少なすぎる。特に、人間と神のスケール感があまりに近過ぎてつまらなかった。神を人間のスケールで描いたら、ぶっちゃけ人間みたいに見えてしまって盛り上がらない。そこが一番引っかかった。

ストーリーもスケール感を見誤っている。神話のエピソードから何を取捨選択するべきか、見誤っている。駆け足でエピソードをなぞられてもなぁ。

そこへ行くと「パーシー・ジャクソン〜」はズルい。まずスケールを人間サイズに統一してしまった。現代に神が居たらこうなるだろうという、「聖☆おにいさん」ばりのハッタリである。そして、主人公の少年にまつわるエピソードに終止させることで尺に収まっている。むしろ、なぜ題材がギリシャ神話だったのか、単にギリシャ神話と言いたかっただけなんじゃないか、というぐらいに神話関係ない。

それゆえに、全体的にチンケだ。特に主人公が成長しているフリをして全く成長しない、ちょっと苦労した風な出来事の5分後には全て解決するという典型的な「全能独裁者型(野村が命名)」のストーリーが安直さを醸し出している(この「全能独裁者型」についてはいずれ日記に書く、書きたい)。冒険をしているようで、一本道をガシガシ進んでいるだけのようなダルい印象である。

故にこの2作品、イマドキのハリウッド作品として考えれば「パーシー・ジャクソン〜」の勝ちと思う。そして、敢えていわせてもらうなら、こんなに長々と感想を書いたが、つまりどちらも面白くなかった。そして、メデューサの人気に嫉妬。

後はベニチオ・デル・トロとアンソニー・ホプキンス競演の「ウルフマン」を観た。観たときの体調が優れなかったせいか、とても眠い、眠い、眠い。雰囲気はまぁまぁ良かったのだが、とにかく長い、長い、眠い、眠い。一応ホラーなので、残酷な描写アリ。眠い。

さてさて、ここまでが宅配レンタルで借りて観た映画たち。今月はもうちょっとだけ観てますよ。

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2010-12-26 12月に観た映画の話をしよう(1)

作品をけなしてはいけない、けなしてはいけない、あくまで自分がその作品を観ての感想を書くんだ。と、自分に言い聞かせての12月観た映画の話を。

21世紀を代表する恋愛映画とまで呼ばれている「(500)日のサマー」。ここまで良い評判を先に聞いてしまうと、どうしても斜めに構えて観てしまいたくなる。自分の恋愛観と違うな、こんなシチュエーションはありえないな、などと斜めに構えたことを考えながら観続けて、そしてハッと気づかされた。この映画はイントロからラストまで、一貫して男の子視点でしか描かれていないんだ。なんということだ、野村が男の子的にアレコレ考えながらこの映画を観ていたという事実、それ自体が仕組まれていたことなのだ。これは確かに21世紀を代表する恋愛映画になるだろう、特に「恋愛映画なんて……」と思っている男の子にオススメ。

アル・パチーノ主演の名作「スカーフェイス」。すみません、未見だったのです。ギャングものの傑作で、さすがにファッションなど時代設定が古くて笑ってしまうが、ストーリーや演技はグイグイ引き込まれる。名作いいねぇ。

柴咲コウ主演「食堂かたつむり」。脚本や脚色は「何か」っぽいし、テーマ性が「何か」っぽいのだが、全体を通して結局それが「何か」っぽいまま終わってしまった感じ。未完成、あるいは間違った解答を見せられた感じ。原作未見なので(観ている間ずっとオリジナル作品だと思っていた。だってあまりにもストーリーがないんだもん)誰に突っ込みを入れるべきか分からないのだが、とにかく、間違っているよ、これ。ダメです。ところでこの日記を書こうとスタッフなどの情報を検索したところ、音楽を担当されている方の名前が福原まりと書いてありまして……、やっぱりだSHI-SHONENの福原まりさんではないですか!

堺雅人主演「ゴールデンスランバー」は日本映画としては良作といえる。ハリウッドならもっとサスペンスものらしくトリックなどを突っ込むべき部分に、主人公たちの回想が入ってきちゃうあたりが日本っぽくて、苦手な方も多いんじゃなかろうか。だがしかし、これも原作未見ではあるが伊坂幸太郎なので恐らく原作通りなのだろう(違ったらごめんなさい、これの原作を読む気はあまりないです、本屋大賞だけど)。他の日本映画と比べて役者の演技がとても良いと感じられたので、マル。

今月はまだまだ映画観ているので、今日はいったんここまで。

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2010-12-20 野村流・物語の作り方(「巻き込まれ型」編)

唐突だが、この悶々とした師走の空気の中、かねてより何処かに書き留めておきたかった「巻き込まれ型」の物語のポイントについて、ここに記そう。この通りに物語を作れば、あなたもイマドキのストーリーテラーになれるかも!

「巻き込まれ型」の物語とは、昨今の男性向け、女性向けのコミックやライトノベルを含む比較的ライトな小説、ドラマや映画などに見られるプロットのうち、主人公が「巻き込まれる」ことで物語が進行するタイプのものについて野村が独自でつけた呼称である。もしかすると学者や団体などによってそういった類型を呼称する尺度やネーミングが作られているかもしれないが、野村はそんなことは知らないので勝手に話を進めさせてもらおう。

特にゼロ年代以降の「巻き込まれ型」の特徴として、主人公Aは無気力で事なかれ主義な省エネタイプで、他人に干渉しないという主義を持ち、人生の目標が無難、中立、普通、安定といった類の方向に定まっている。友達がいないわけでもなく、さりとて人気者というわけでもない。頭脳も普通(バカではないが超がつく天才でもない)、運動神経も普通。

そんな主人公Aがある日ばったり出会うのが破天荒で常識に捕われない、次の行動が予測できないタイプの人物である。これを人物Bとしよう。同性でも異性でも構わないが、大抵の場合主人公Aよりも美形で、運動神経か頭脳か或いはその双方が優秀で、にも関わらずその長所をまともな方法で生かそうとはしない人物だ。主人公Aは人物Bに「巻き込まれて」災難に遭うところから物語は始まる。

主人公Aは人物Bについて、最初は反りが合わず出来るならば遠ざけたいと思っている。だがどうしても離れて行動することができないし、人物Bは主人公Aに対して馴れ馴れしい。人物Bの言動に次々と巻き込まれていく主人公Aは、やがて人物Bの行動原理や目的、または人物Bの出自など思考を形成するバックボーンに気づき、同情し、同調するようになる。そして訪れるターニングポイント、主人公Aは人物Bのために自らの信条を曲げてでも事象に関わろうとするのである。

さて、この手のプロットでは主人公Aは凡庸でありたいと考えていた筈なのに、なぜ先の見えない人物Bに加担するように心が動くのだろうか。そういう物語が世の中に多いという事実それ自体が語っているように、多くの人が「凡庸であることが世間では正しいとされているが、本当は型を破りたい」と願っているからではなかろうか。

物語を書く際の手法の一つとして、その時代の読者層に合わせた登場人物を出すことが挙げられる。こうすると感情移入がしやすくなるからで、上記の「巻き込まれ型」の場合は主人公Aがそれに当たる。言い換えれば主人公Aは日常で、対する人物Bは非日常を表現していることになる。非日常はこの物語を物語たらしめているフィクションの部分である。フィクションが魅力的だから物語を読むわけで、つまり人物Bは主人公Aと比べて非日常的で魅力的だ、ということになると野村は考える。

この「巻き込まれ型」の物語、最近では実に多くなってしまったが故に陳腐化した感も否めない。だがかつての勧善懲悪ものと同様に、ゼロ年代の王道プロットとして、確実に生き残っていくことだろう。ぜひこのプロットで、誰か面白いの書いてくれ。

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2010-12-09 数多ある「賞」のどれかひとつにでも

今年の文化庁メディア芸術祭の受賞作品が発表された。もう14回だとか。すっかり定着した感のある賞である。

で、この賞は意外に幅広い分野をカバーしていて、メディアアート、広告、映像作品、ゲーム、プロダクトなどおよそメディアだろうと思われるものなら基本的に何でもアリだ。そんなもんだから、批判も多い。ごった煮感というか、雑というか、対象が広範囲である故のラインナップの薄さというか。評価基準が曖昧だったり、そもそも自薦だったり。

ただ、自分が評価されたい側(作者側)であるからこそ気になる点も、評価されたものを観る側(観客側)として考えるとどうでもいいことだったり。誰かが「面白いよ」といってくれた作品ならとりあえず観るじゃないか。それが名目として公正な第三者の評価だよと云われれば、成る程、聞く価値もあろうと考えるのが普通だ。

賞にはそういう側面がある。だからこそ欲しいのね、評価されたい側としては。そういう意味では「どんなものにでも、褒められるのなら悪い気はしない」というのは間違いなくあって。

メディア芸術祭は14回分の実績もあり、どういう経緯にせよ評価されている作品は「いい作品」であることは疑いない。数多ある賞の中でもやっぱり抜きん出ていると思う。

……頑張ります。

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2010-12-07 SONY信者を辞める、いや辞めさせられる

20世紀の終わり頃、野村は生活をSONY色に染めることこそがハイテクヒッピーの正しいスタイルだと確信していた。発売されたばかりのネットワークウォークマン(SONY初のノースピンドル音楽端末、初代モデルは僅か単4電池2本分ほどの継ぎ目の無いアルミボディで異様な高級感だった)を聴きながら、CLIE(携帯情報端末。Palm OSを搭載していた。初代は白黒だったりバックライトが無い液晶に賛否が分かれた。また別売りのアダプタを使うとPHSを使った高速32kbps通信!も可能)をポケットに忍ばせ、鞄にはもちろんVAIO(初代は紫色でソリッドなフォルム、黒色一辺倒だったノートPC業界に激震が走った)であった。

そして現在、野村の自宅にあるSONY製のDVDレコーダーは、DVDレコーダーという名前の由来であった筈のDVD録画機能が正常に動作していない。これが壊れると、残るSONY製品で大きなものといえばPS3くらいになるだろうか。

これは一体どういうことだ。野村はSONY大好きっ子だった筈なのに。よくわからないときはSONY買っとけとか云っていたのに。

こんなにSONYが好きなのに、SONYは買いたくなるような良い製品をちっとも出してくれない。自慢じゃないがそれなりにこだわりがあるので、店頭で一番目立っていてそれなりな製品を買っちゃうんですよ、なーんていうタイプじゃない。野村はSONY製品が欲しいんだ。でも、こだわって調べるほどに、SONY製品が欲しくならない。この矛盾、ああ。

(追記)DVD-RでならDVD録画機能がちゃんと動いたよー!相変わらずDVD-RWは使えないけれど、とりあえずオッケー!

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