2010

2010-04-22 「電子書籍の衝撃」の衝撃

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というわけで日記のタイトルは完全にダジャレなわけだが、佐々木俊尚「電子書籍の衝撃」は面白かった。この本、もちろん電子書籍としてディスカヴァーから発売されていて、野村はiPod Touchで読破した。皆様にもオススメしようと思ったら、110円キャンペーンが終わってしまっていた。がびーん。

さてさて、この本を読んで色々と考えたことをツラツラ書いてみる。

良く云われる「なぜ紙の本を収集するのか」という問題。野村はマンガで本棚が埋まっているが、マンガは画集などと同様に紙面一枚一枚、右か左かも含めて全体を読むものなので、今のところ電子書籍には向かないから置いておくとして。また、図版が重要な書籍も同様だ。雑誌もここに含まれると思っていて、写真や図版が大きくて奇麗だから読みやすいという点が非常に重要と考えている。文庫サイズの雑誌は誰も読まない。なのでこれも横に置いておいて。

野村は電車で読んだりすることを考えて、小説はなるべく文庫で買うようにしている。可搬性を重視しているわけだ。一方でどうしても一刻も早く新刊で読みたい作品はハードカバーで買う。つまり、作品の配布形態が複数あることに対して、違和感は既に感じていない。ハードカバー→新書サイズ→文庫サイズと来て、電子書籍サイズになっただけだ。後は紙で持つ価値ということになる。

欲しい作品はハードカバーでも良いから買おう、と考える。ハードカバーか文庫か、そこには値段の問題もあるが大きさや形の問題もある。収納するにしても文庫の方が形が揃っていて楽チンなのだから、何かにつけて文庫の方がユーザーにとってメリットが大きい。なのにハードカバーを買うという行為は、その出版物の内容に加えて「付加的な価値」に対して魅力を感じているからに他ならない。発売されるタイミングもそうだが、例えば装丁や紙そのものに「付加価値」を感じているから、その分の金額を上乗せしても良いと思っているということになるだろうか。「紙の質感が好き」とか「紙はメモできる、付箋を貼れる」といった「価値」もありえるだろう。

あるいは作家や作品に対する敬愛を示すためかもしれない。好きな作家、好きな作品だから金額以上に支払いたいと思う気持ちだ。ガンダムオタクがガンダムと聞くとなんでも買い揃えてしまう行為、自虐的に「寄付」とか「お布施」とか呼んでいるその行為は、既に作品に対してではなく付加価値に対して値段を支払っていると考えられないだろうか。

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「作品の値段」+「付加価値の値段」=「本の値段」とした場合に、「付加価値の値段」をディスカウントした状態が新書→文庫、そして電子書籍となると考えれば、既存の紙を使った出版形態と電子書籍という出版形態は共存できるのではないか。作品そのものの値段で入手できる電子書籍が書籍のベーシックな配布スタイルになって、ハードカバーは所有者にプレミア感を与えてくれる嗜好品として存在する。とりみき&田北鑑生の名作SFギャグマンガ「ダイホンヤ」のような世界もあながち冗談ではない。

本を嗜好品として考えた場合、単にフォーマットが揃っているだけの新書や文庫は残念ながら価値が薄い。横に並べたときの美しさとかコンプリート感を得られるラインナップ(例えば作家の全集とか。あぁラヴクラフト全集揃えてねぇや)があれば俄然、嗜好品として買い揃える価値が湧いてくる。だが闇雲に刷られているだけの新書や文庫であるならば、結局それは値段以上の付加価値を提供してくれないので電子書籍のほうがいい。

後は単純に「文字の読みやすさ」という問題だが、これは経験や体質に依るところも大きいと考える。だが、「電子書籍の衝撃」の中で著者が述べているように、既にブログなどをデジタルの状態で読み慣れている世代にとっては、あまり重要な問題ではないのかもしれない。

日本では出版業界の障壁が高くてなかなか普及しない電子書籍だが、野村は潔く肯定派に回ることにした。だが紙の本が持つプレミア感も好きだ。多分これからは両方を見比べて、その時々でどちらを選択するか決めていくことになるだろう。

tags: インターネット


2010-04-13 CS5が正式発表になった

遂に出ますよ、Adobe CS5

というわけでCS5が何者なのか、どれほどすごいのかは公式Webサイトをみれば分かるので、敢えてここは野村が残念に感じたことを書いてみる。

まず、またしてもアップグレード時にOSの変更ができない(<%= fn ‘07:36追記:アップグレード時に個人事業主向けのボリュームライセンス(TLP)を適用すればOS変更が可能になるらしい。コメント欄参照。(けんたろThanks!)’ %>)!この縛りって何の意味があるのかさっぱり理解できない。野村はWindows→Macに生活スタイルをシフトさせてしまったので、Windows版の多くのソフトが無駄になろうとしている。Adobe製品は決して安くはないので、いやむしろここは割増料金でもいいのでせめてアップグレード時のプラットフォーム変更は認めて欲しい。

次に、Flash Platformの開発環境を揃えるスイートが、Web PremiumとMaster Collectionしかない点について。せっかくのFlash Platform戦略なのだから、Flash Pro、Flash Builder、Catalystとデザインワーク用のFireworksあたりで「Flash Premium」とかあっても良さそうなものなのに、無い。すべてのスイートにPhotoshopが入っている……ってそんなに重要なことですか、そうですか。いや、Photoshopすごいけどね、でもTPOってあると思うんだ。現在勤めている会社では、デザインをFlashに持っていく直前の作業はFireworksにほぼ統一されているし。

そして、これはかなり些細なことだがWeb PremiumにSound Boothが入っていない。Flash用の効果音を編集するのに使うものだとばっかり思っていたのに。仕方が無いので、ActionScriptで効果音の波形をいったん可視化してPNGに保存、Photoshopで取り込んでフィルタをかけて、ActionScriptでもう一回音情報に変換し直すというエクステンションを、……すみませんやっぱりSound Boothつけてくださいよ。

Adobe製品をお使いでない方にはさっぱり意味が分からないだろうが、まぁこんな感じで新しいソフトウェアが出るので浮き足立っているということだ。

tags: PC


2010-04-06 ActionScriptというプログラミング言語

なんか似たようなことを何度も書いたし読んだ気もするが、これは野村の日記なので定期的にこの話題に触れちゃうよ!年取ったね!

2010年もAdobeの主軸を担うFLASH PLATFORM戦略。これは広範なデバイス上でFLASHが動作するようになるというもので、野村なりに言い換えると「ActionScript言語」を知っていればいろんなシーンに向けたアプリケーションを作成することができる、プログラマとして仕事ができるということになる。

十年前までは、結局C言語を知らなければ何も作れない、なんていわれていた。今でもC言語はプログラミング言語の一つの高みだろうと思う。だが、デバイスやUI、ネットワークの発達からコードの肥大化を余儀なくされるようになった現在、ハードウェア依存を隠蔽化して安定性や汎用性の高いコードを書ける、そんな優れたフレームワークを活用して効率よくプログラミングすることが要求されている。例えばJavaがそうだった。

Javaが通って来た道を、ActionScriptはFLASH PLATFORM戦略で通ろうとしている。

もはやFLASH PLATFORMはデザイナーやアニメーターだけのものではない。プログラマにとって重要なフィールドとなっている。そろそろプログラマの皆さん、ActionScriptというプログラミング言語を認めてやってはくれないか。

tags: PC


2010-03-21 「HEAVY RAIN -心の軋むとき-」感想

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野村は普段はゲーム雑誌などを読まないので、ゲームの情報は友人経由かTwitterやブログ経由でしか分からない。このゲームが発売される直前、偶然店頭でデモ映像を観て、気になって情報を後から集めた。重い内容のアドベンチャーゲームだと分かり、昨今のゲーマーには全く響かないだろうが、個人的にはこれは買いだと思った。

80年代にアドベンチャーゲームがPCゲームの代表格だった時代があった。ターゲットの年齢層が高かったせいもあってか、シビアなリアルタイム処理が要求されない代わりにストーリー性が非常に要求されていたように思う。当時のアドベンチャーゲームのスタイルは、「弟切草」以降はサウンドノベル/ビジュアルノベルという名称で現在にまで引き継がれた(最近だと「428」など)。だが、システム的には大きな発展は観られず、単に「表現や作業が単調でつまらないゲーム」「一度クリアする(=ストーリーのオチを読み終える)と面白くなくなるゲーム」として完全に据え置き型ゲーム機(PCやWii/PS3/XBox)でのメインストリームからは引きずりおろされた格好だ。

昨年末DSで発売された「極限脱出 9時間9人9の扉」というゲームがあるが、これは「レイトン教授シリーズ」のような謎解きパズルのパートとアドベンチャーゲームをくっつけた格好であるから、アドベンチャーゲームとしては従来のスタイルの延長線上にあるといってよいだろう。DSでは他にも従来のスタイルのアドベンチャーゲームがいくつか出ている。DSの処理能力やプレイスタイルを考えれば、またDSはユーザーの年齢層が幅広い(アドベンチャーゲームのオールドファン層は据え置き型ゲーム機の年齢層よりも、むしろDSの年齢層に合致すると思う)ことを考慮すると、まだまだDSではこのスタイルでやっていけるのかもしれない。

さて、「HEAVY RAIN」はストーリーをユーザーに与え続けながら、要所要所でユーザーにリアルタイムな判断を迫るという、据え置き型ゲーム機でのプレイをターゲットにした比較的新しいスタイルを採用している。従来のスタイルで指摘されていた文字を読み続ける作業の単調さや気怠さは払拭できていると思う。むしろストーリーに見入ってしまって、考える時間を与えてくれないリアルタイムな判断を迫られるシーンのほうが面倒なくらいだ。

このスタイルのアドベンチャーゲームは他にも、やはり同じ開発会社から出された「Fahrenheit」などがある。だが、このスタイルのゲームは、果たして思ったように売れているのだろうか。

「HEAVY RAIN」はグラフィックにも、音声にも(吹き替えにも)相当の予算がつぎ込まれていると予想される。つまり、それなりに売れなければこんな規模でゲームを作り続けることは不可能なはずだ。だからといって、「ストーリーをユーザーに与え続ける」ことがこのスタイルのアドベンチャーゲームの特徴であるから、ストーリーに必要なレベルの表現を作り込んでいく予算を削るわけにはいくまい。

更に「HEAVY RAIN」ではなおも「一度クリアすると二度目をプレイするモチベーションが湧かない」という問題が完全には払拭できていない。マルチエンディングであることだけではゲームをプレイするモチベーション向上には繋がらず、単なるコンプリートのための作業を繰り返すだけになってしまう。特に内容が重かっただけに二度目をプレイする感情が湧きづらい。また野村の場合は、一周目でかなりストーリーが気に入ってしまったために、違う展開自体に興味が湧かなかった。二度目のプレイがなされないとなると、相当に力が注ぎ込まれた表現が、単に映画のように繰り広げられただけということになってしまう。これは非常にもったいないことではないだろうか。

というわけで、「HEAVY RAIN」。野村はとても好きな内容だったが、ゲームとして考えるとどうなんだろう、売れるといいが難しいんじゃなかろうか。ただ、だからといってアドベンチャーゲームが無くなってしまうのは非常に惜しいので、なんとか生き残りをはかってもらいたいものだ。

tags: ゲーム


2010-03-12 花粉症

花粉症を発症して、もう3年くらい経つんだろうか。昨日あたりから、鼻と目がきつくて集中できない。これは問題ですよ。

花粉症の対策として抗アレルギー剤の服用とマスク着用を毎日欠かさず行っていたのだが、昨晩からは更に小青竜湯(漢方薬ね)と、コートのファブリーズ(花粉を固めて落とす)の義務化を嫁サマから強制されそうな予感。

諸説あるらしいが、どうして近年になって急に花粉症という病がこんなにメジャーになったんだろうか。もしも金持ちになったら、杉を全部買い取って伐採したい、その結果土砂崩れや地下水の枯渇が起こっても耳を貸さない、などと乱暴なことを考えてしまう今日この頃であった。かふーん(くしゃみの音)。

tags: 生活