2009

2009-07-08 Flex系イベントでへこむ

昨日、Flex Frameworkのイベントに行ってきた。Flash使いとしてそれなりの自負があったのだが、そのイベントではむしろFlash使いは呼ばれていない子扱いだった。いや、そんなつもりは参加された皆さんにも、Adobeにもなかったのかも知れないが、野村はそう感じてしまったのだから仕方ない。

Flashは消えないよ、共存できるよ。でも、Flex FrameworkはActionScript上で動いているはずなのに、この違和感はなんだ?

簡単にいえば、野村はFlash上でFlex Frameworkを使いたいんだよ。コンポーネントとかじゃなくて、Frameworkそのものを。だってActionScript上で動いているんだろう?ならばFlash上から、下位レベルからFlex Frameworkへのアプローチが可能なはずだろう?野村は、それがやりたいんだ。Flex3のとき、mxパッケージが使いたくても使えなかった。Flex4のs(Spark)パッケージはどうなんだ?

自分はあのイベント会場で、Adobeやエンリケさんにそういいたかったんだが、うまく言えなかった。もう帰れって云われている気分だった。多分、会場にいた方々はみんな「あいつバカじゃねーの?」と思ったに違いない。確かにバカだった。空気読めって感じだった。

もう、しばらくはFlex系イベントには行かないと思う。くすん。

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2009-07-01 モズレーが悪い

F1が分裂しそうになった6月が終わり、一応全チームが来シーズンもF1で参戦することになりそうだが。この問題の根底にあった「モズレー解任要求」はどうなったのか。

当初の和解報道ではモズレーが10月の選挙に出ないことが条件だという噂だったが、モズレー自身は「俺はみんなから望まれて会長をやっているんだ」と云っているとか。

だが冷静に考えてみるとどうだ。モズレーがいるとどうだ、いないとどうだと云っているという一点において、FIAという組織にモズレーはいないほうがいいってことじゃなかろうか。

tags: F1


2009-06-21 HTML5 vs Flashで思ったこと

野村はエバンジェリストでもないし強力なコネがあるわけでもないから、これはイチFlasherの戯言に過ぎないわけだが。

HTML5が強力なCanvasを実装したりメディア再生をサポートするわけだが、これはHTMLがマークアップ言語として必要な進化だと考えてみるとどうだろうか。画面に角丸を書いたりメディアを埋め込むために、わざわざ画像編集ソフトやFlashを立ち上げることはウザったいと思わないか。本質的には「そんなことはHTML(CSS)がやればいいこと」なんだ。ブラウジングされるべきその「ページ」をレイアウトし、情報を見やすく整形するのはHTMLの本分じゃないか。

Flashでサイトを作る意味は、情報の表現能力としてHTMLが非力だからFlashで代替するというだけなのか。それだけならば、HTML5が登場して、更にHTMLが進化すればFlashは不要になるだろう。

一方で、Webサービスが発達してブラウザという枠の中でアプリケーションが立ち上がっている姿に違和感を感じなくなってきた。いつの頃からか「ダウンロードしてきてインストールしなきゃいけないなんて、面倒くさい」と考えるようになった。ブラウザが表示しているものは情報だけではなくなった。つまり、我々はHTMLがやろうとしていた以上のことをブラウザという媒体と通じて行おうと考えるようになったのだ。

HTMLがその目的を挿げ替えてまで、ブラウザ上でアプリケーションとして動作しようとするだろうか。もしもHTML君がアプリケーションになりたがっているならば、それは無駄だからやめたほうがいいとアドバイスするだろう。なぜならブラウザ上で動作するアプリケーションのために「プラグイン」という概念がちゃんと存在していて、現にその目的を果たしているからだ。Flashはアプリケーションとして正常進化しているじゃないか。HTMLが、わざわざ自分自身の本分を見失ってまで路線変更することに何の意味があるのか。

HTMLはアプリケーションになりたがっているのではなく、やっぱりマークアップが目的なのではないか。であるならば、アプリケーションであるFlashとの共存は充分に可能だと考える。

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2009-06-19 Scaleform GFxの話

大崎で開かれたScaleform GFxのお話を聞くセミナーに行ってきた。このScaleformという技術は簡単に言うとFlashでコンシューマゲームのUIを作るという技術で、多分詳細は著名なFlasherの皆様のBlogを追いかけていただいたほうが早いだろう。

で、野村の私的なまとめとしては。

ゲーム業界にはこの20数年間で培われてきた業界のルールがあるということ(野村の大嫌いな言葉でいうとスキームって奴?)。Flashは後発、従ってFlasherは基本的に新参者としてゲーム業界に「やってくる」人という前提で話がなされていた。これには会場のFlasherの皆さんからブーイングが……、野村の心には聞こえてきましたよ、ええ。Adobeが開いたセミナーということもあってFlash歓迎なムードかと思っていたら、この仕打ち。

でも仕方ない。結局ゲームをゲームたらしめている部分はFlashで作らない前提だから。事例紹介されていたゲームはFlashゲームをコンシューマに移植したというもので、これはゲーム業界的には異端なんだろう。

ならば例えばUIパーツだけとか、Scaleformを使う部分を外注とかどうなんだろうか、とも思ったがこれも厳しいのかな。コンシューマゲーム開発に付きまとうライセンスと守秘義務の問題もあるだろうが、ひょっとしたらゲーム業界は部分的な外注という手法に不慣れなのかも知れないなぁ。いわゆる大作ゲームでも3Dモデリング部隊が大量動員というのは良く聞くが。

PCゲームの場合は、そこまで大変なことはなさそうだが、日本国内ではPCゲームは市場が小さすぎてワクワク感が薄い、というかない。それこそFlasherが一念発起しても仕事にならないだろう。

うーん、この技術は次の世代に向けての布石と思うしかないのかな。

tags: ゲーム


2009-06-17 知的活動領域(追記)

昨日の日記はiPod Touchで書いた。書いている途中で就寝時間になってしまったので、なんだか訳のわからない文章になってしまったので補足する。

Twitterはフラットな会話(つぶやき)の展開がある場所で、例えば野村が著名な方のTwitterに対して賛同したり反論したりしても、全く問題ない、むしろOK!という文化が形成されている。2ちゃんねるだとヤジにしかみえないがTwitterは「野村がつぶやいた」という記録として残せるところが大きい。気軽さと、責任が適度なバランスで成り立っている。

Twitterは適度な責任感が、単なるヤジを一歩推し進めて「自分の意見」へ昇華させる手助けができる。単に人の意見を丸投げするだけでもいいんだが、まず情報の取捨選択という時点で自分の意見が反映されるし、そのうち自分の意見を書き加えたくなる(何せ全てが「入力フォーム」で繰り広げられているから)ように低いハードルが設定されている。

別にTwitterをほめる文章を書きたかったのではなく、こういったシステムを作り出すことができるインターネットって改めてすごいと思ったのと、こういったシステムに簡単に手が届く時代になったことがすごいんだ、と書きとめておきたかったのだ。

例えばこれは野村の日記だから、野村の思考や感情を書き留めておきたい。そういうシステムを欲していたからここに記載している。その延長線上に、もっと多くの人々の有象無象の思考や感情といった知的活動が存在していて、なんとインターネット上の様々なシステムは、それらを入手し、選択し、賛同したり反論したりしながら自分の知的活動に取り入れることができるようになってきているのだ。

インターネットの、この知的活動を大きく広げることができるパワーを当たり前に使いこなして育っていく世代の人々は、一体どうなっていっちゃうんだろう。それを考えるとワクワクする。

全然関係ないが、昨日日記を書いて分かったことがある。iPod Touchで書けるのはTwitterが限界だ。まとまった文章を書くには全く向かない。この点がこれまでのPDAより劣る部分だと感じる。入力に対する手軽さが全くなくて、道具が思考を妨げる感じ。慣れの問題?本当に?

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