掲示板を立てた。家の中に。
材料費約2,000円、これは東急ハンズで買ったからどうしても高めになってしまった。で、足元に転倒防止の梁をつけたくらいでほぼ加工無し。あっという間に完成した。
ただ、ラワン材のベニヤ板を使っているので画鋲が刺さりづらい。見栄えも悪いので表面に何かつけるべきか……。
掲示板を立てた。家の中に。
材料費約2,000円、これは東急ハンズで買ったからどうしても高めになってしまった。で、足元に転倒防止の梁をつけたくらいでほぼ加工無し。あっという間に完成した。
ただ、ラワン材のベニヤ板を使っているので画鋲が刺さりづらい。見栄えも悪いので表面に何かつけるべきか……。
tags: 生活
エンジニア視点からみたデザイナーとエンジニアの間にある問題について、どうしても言いたかった意見を2つ書き散らしておく。
以下は野村の意見であり、立派な根拠や成功例を期待されても困るので予めお断りしておく。
デザイナーの友人と飲み会でこの話をしたときには「デザインは理屈じゃねーよ」と一蹴されたが、それはデザインというものがなんであるのかを理解したうえでの話である。
ここで伝えたいのは、基礎知識としてのデザインの話である。テレビ番組の録画予約ができない人に対してリモコンの操作方法を説明しようとしたときに、「僕(私)には機械のことはよく判らないから……」といって耳を塞いでしまう方がいるように、デザインの話をすると「僕(私)にはデザインのことはよく判らないから……」と耳を塞ぐ方がいる。
これまでのWEBアプリケーション開発の体制の中では、それでも良かったかもしれない。だが、RIAの発達によってエンジニアといえどもデザインが何たるものかを知らなくてはならない時代は既に訪れた。それでもなお「理解できない」と怯えているエンジニアに対して、「デザインは理屈で説明できるから、怖がるな!」と言いたいのだ。大体、理屈に合わない非合理的なものがビジネスの世界で易々と生き残れるわけがない。デザインという工程がビジネスの中で確立されていること自体が、理屈が存在する、合理的側面を持っている証拠と考えてみてはどうだろうか。
具体的には、高校生レベルのデザインの教科書を紐解けばいくらでも解説が見つかるので、本を読め!学べ!としておこう。
その基礎的な知識の上に立ってデザイナーは、更に感性を磨いてデザインを完成させている。このレベルに立って初めて「デザインは理屈じゃねーよ」と言える。もしも、デザインは理屈じゃないと言いたいのなら、基礎の部分は超えていただかないと始まらない。その意味でも、デザインはRIAエンジニアの必須科目といえよう。
RIAアプリケーションの開発において、というか開発においては「開発側」の人間は全員がチームであるべきだ。みんなゴールが同じなのだから。
プロジェクトがうまく回らなくなってくると、どうしても状況の悪化を「誰かのせい」にしたくなる。えてして根本的な「敵」は姿が見えづらいところにあって、見えやすいところの「歪み」を捕らえてケチを付けだしてしまう。野村も大いに反省するところだ。
デザイナーはエンジニアとは違う義務と責任を追った役割である。だからどうしたって、考え方が違うところが出てくる。締め切りについて、フィニッシュについて、ポイントが違ってくるのは仕方がないことだ。
だが、最終的なゴールは「いいものを作る」ということで一致しているのならば、違うポイントが出ようとも構わないはずだ。それらを全て満たせば完璧なものに近づいていくわけだから。自分と違うポイントが目の前に現れたときに、それを排除するのではなくむしろ取り込もうとするくらいの気概が欲しいものだ。
敵がいるとすれば、ゴールが違う人間がそれだ。最終的にはいいものを「作らなくてもいい」と考えている奴が敵だ。
当たり前のことだが、開発の現場ではそんな人間をみることはまずない。そういう人間はモノを作らないからね。だがプロジェクトのどこかにいないとも限らない、……らしいよ、よく知らんけどね。
もう先週の出来事だが、映画「20世紀少年」を観た。原作も全部読んだ上で映画を観たので、多くの人が指摘している「判りづらい」などの心配はなかった。
それにしてもこの作品は非常に勘違いされていると思う。原作は、歴史に残るような大作ではない。だって「科学冒険漫画」と上にわざわざ書いてあるんだよ、作品自体が作者の少年時代に対してのオマージュなのに、いわゆる大作なわけがない。
なので、「20世紀少年」の鑑賞方法としては大げさでもったいぶった演出やストーリー展開を楽しむのが正しいと考える。この作品に緻密な推理とかを求めてはいけないのだ(それなりにはあるけど)。
で、映画館で観るべき映画かといえば、……かなり微妙。普通の皆さんはテレビでどうぞ。
日経BP主催のXdev 2008というイベントで、先ほど壇上に登ってきました。若干「照れ」が勝ってしまって、イベント終了後に報告する恥ずかしがり屋の野村です。
デザイナーとエンジニアが仲良く仕事をするというのはどういうことなのかを、「デザイナーを挫折したエンジニア」という恥ずかしい経歴を踏まえて話してきました。
聴いて頂いた方々の心に少しでも残るものがあれば幸いです。
どんな話をしてきたのか、またどんな話をし忘れたのか(!)は後ほどこの日記にも書き散らしましょう。
Progression 3の発表イベントというのをやっていたので覗いてみた。
その帰りについ、「初音ミク」を買ってしまった。
最近急にまた忙しくなってきたので判断力がおかしくなっているようだ。
バッテリーの減りが異常すぎて実用に耐えられないと評判のD4。ネットでは「お漏らし」と表現されていたらしいが、非常に的確な表現であった。電源を切りたくても切れないという素敵仕様だったのだが、このほどメーカー側が「やっぱり電源を切ったらなるべく電源を切ることにします」といったニュアンスで回収修理を開始した。
うん、やっぱりこの日記をここまで書いてみて判った。電源を切ったら電源は切って欲しいよな、普通は。
何のとこか判らない方に憶測交じりに解説すると、WILLCOM D4はWILLCOMの電話端末でありながらWindows Vistaを搭載したノートPCでもある。で、ノートPCならばバッテリーの消費は非常に気になるところで、特にこのD4、メーカー公称ですら1.5時間しかバッテリーが持たない貧弱ノートPCなわけで、「節電」のために電源をちょくちょくオフにしたくなるのは当然の帰結でありました。
一方でD4は携帯電話(PHS)でもあり、電話をちょくちょくオフる人はそう滅多にいないわけで。で、両方の要素を持ったD4は、何故か電話としてのアイデンティティを保つために「電源をオフっても回路の一部は起こしておこう」という素敵な結論を導き出したようで。
しかも、その「回路の一部」に何故か無線LANモジュールも含まれていたらしい。電源を切ったPCの無線LANを生かしておく意味がさっぱりわからないのだが、電源を入れるときに何故か無線LANモジュールは(無線を設定で無効にしていても)必ずランプがオンになっていたから、多分事実。
で、今回の修理では電源を切ったら電源を切る仕様に変更することになった、とのこと。
早速修理に出したのだが、結構混み合っていると店員から散々脅された。長ければ4週間かかるとのこと。4週間か。D4が戻って来る頃には、今の会社を退職しているなぁ。
tags: PC
ネットでイケてるサイトとして紹介されていた、http://www.proyectiva.com/というサイトで使われているBGMが「攻殻機動隊」にしか聞こえないのは空耳だろうか。
阪本順治監督「闇の子供たち」を観てきた。上映館数が少ないせいか、地味な映画の割にお客が入っていた。
まず酷評すると、日本人キャストがタイ人キャスト(子役含む)に負けていたなぁという印象が残った。状況や心情を説明する日本語のセリフが、なぜか単調で学芸会っぽくなってしまっていた。演出意図としては「間違ってはいけないデリケートなセリフ」だから、しっかりと聞き取れるように発音してもらったのかも知れないが、棒読みセリフのせいで日本人キャストはフィクションを演じているんだという印象を高めてしまった。
一方で、タイのキャストがすばらしかった。存在感を放ってグイグイ画面を引っ張っていく。そして子役の演技がすばらしい。この子達がトラウマにならないか心配になるような過激なシーンの連続で、この映画のフィクションを「本物」にしようとする決意みたいなものが強烈に感じられた。
映画としては万人受けするようなものではないし、違う脚本、違う演出、違うキャストならば同じテーマでもっとよい作品を作ることができたかもしれない。だが、それを踏まえた上でこの作品を映画にしようという意気込みや、実際に配給にこぎつけたことはとても素晴らしいと思った。
誰にでも勧められる映画ではないが、少しでも気になっている人には是非勧めたい映画だ。何故ならば、この映画が地上波で流れる可能性がかなり低いからだ。PG-12だからということもあるが、単純に視聴率が取れない。お茶の間でビール片手に観られる映画ではない、この映画の裏にお笑い番組が流れていたら、多分お笑い番組をみんな観るだろう。レンタルでも良いが、気持ちが折れたら多分観ずに返却してしまうだろう。普段の我々がこの問題を避けて通ってきているように、この映画を避けたくなる気持ちのほうが勝ってしまうだろうから。