大学になんか行きたくありませんでした。大学生は人生の落伍者に見えたこともあります。決められたレールを求める亡者のように、中学生の僕にはそう見えました。
「高校はどこに行くのだ」と聞かれて「H高校です」と答えると、「M高校に行けるが、いいのか?」とか、「A高校はどうだろうか」と余計なことを言われました。「ちょっとがんばれば、今よりいい成績になるのに」と言われる度に「ちょっとって何なんだろう」とか「いい成績って何だ」と思ってしまい、そうすると人の成績表を見つめる先生の、目も口も鼻も何もかもが嫌いになります。
だから僕は高等専門学校に行きました。
価値観は人の器を表す鏡で、僕の価値観はそこで粉々に砕かれました。1991年の春に出会えた79人の仲間はそういう奴等でした。本物の天才を一遍に見ました。絵もデザインも塑像でも音楽でも表現だって哲学ですら、今までに経験したことのない世界を味わえて、かつ彼らはまだも貪欲に、色々な世界を追い続けているのです。
学校に行くというのはこういうことなのだと、僕は仲間達から教わりました。学ぶってことはそういうことなんです。いかに貪欲か、ということなのです。
偉大な人はなべて貪欲です。妥協しないから、普通の人があきらめてしまうような壁を乗り越えてしまうんです。僕はそういう偉大な人になりたい。
だからといって、列車の駅を作って空港を作って喜んでいる人を「偉大」だなんて呼んで欲しくありません。彼らは一線を越えていません。極めていません。ただ保身に躍起になっているだけです、従って野心家でもありません。カネをため込んで、何をするのでしょうか。何もせずにカネを集めるだけ、そんな人は「カネを集めている自分」を繰り返しているだけなので貪欲とは言えないのです。
残念ながら、僕の通っていた高専は、誰か「保身」を求めた人物がいたようです。「いたようです」と中途半端な表現に留めたのは、僕はその事実を追求することなくそこを去った身分であるからですが。
就職について誰かが言い始めました、「君たちにはせめて就職してもらわないと」とか「我が校の初の学生が、就職浪人では困る」とか「職場で問題を起こさぬように」とか。そんな声が、しかも頭上から人を押しつけるように響いてきたので、僕は学校を退学しました。ここにはもういられない、と思いました。居心地が悪くなったので、とんずらです。仲間達には申し訳ないが、もはや同窓会のようなものにも出る気はありません。
さて、何もすることがなくなってみると、僕にもわずかばかり残っていた貪欲がみるみる大きくなってきました。
1995年、生まれて初めて予備校というものに通うことにしました。大学に行くためです。
葛藤もありました。何度も、大学に行くのは自分の主義に反することだ、と考えもしました。でも、大学に行かなくてはなりませんでした。大きな理由は、自分の野望のためには仲間が必要だったからです。
野望の一つ目は、動き始めたばかりです。ですが、この野望がある限り、僕が大学に通い続けられると思います。逆に言えば、これさえ許されぬ環境であったならば、僕は年を越す前に、この大学から消えていたでしょうが。まあ、大学というのは得てして学生の活動を知りませんから、その意味では心地よい毎日です。
繰り返しますが、僕は大学が嫌いです。だから、卒業する気はありません。