ちから

ちから

 何かを創り出そうとする力は美しい。完成させることが出来たならば、その人は勝者であると思います。大概の、口先ばかりで評論家を気取る連中は、何も産み出すことの出来ない悲しい人たちです。どんなに小さな作品でも、最後まで作り上げることができたならば、それは素晴らしいことなのです。
 面子にこだわって、結局何も作り出せないまま、「いやあ、実はこんなことも考えていたんだけど」と笑ってごまかしたら負け。きっとそんな生き方は面白くないと思います。何度もそんな苦い経験を積んだから、今度こそは成功させてやりたい、と思うようになりました。

 今、色々なプロジェクトを遂行しています。自分が発案したものもあれば、人の提案に乗っかったものもあります。あれもこれも、と欲張ったつもりはないのですが、最近の僕は「企み事」に押し潰されそうなくらい忙しくなってしまいました。そのせいで何事も中途半端な感も否めず、あちこちで迷惑を掛けているようです。本当に申し訳ない。
 ただ、うずうずと口を挟まずにいられなくなる僕の気持ちも分かって欲しいのです。これが完成したらどんなに素晴らしいだろう、と思えるようなものに巡り合ったらいても立ってもいられなくなったのです。どうか、その芽を潰さないで欲しい。その一身で大学内を走り回っているのです。

 最近、特に焦ることばかりです。ちょっとしたことですぐにかっかする、「高校時代までの僕」がまたもや侵食し始めて、僕は今、毎日毎日が胸焼けと吐き気と眠気ばかりです。授業に出ていないのは集中できないから。90分の抗議の間にも自分が成すべき事があるような、そんな気がしてもどかしさを覚えてしまうことも多いのです。誰かがやるのを黙って待っていられません。いつまで立っても地球は24時間弱で1回転しかしません。そう考えると苛立ってきます、なにもまだ産み出していない自分に腹が立ちます。
 僕はまだ、なにも残していやしない。なにも残せないんだ。
 僕は芸術家としては二流です。ひょっとしたら三流です。世の中には上には上の上があったりして、野村政行は芸術の世界のランキングにおいてかなりの下位をキープしています。もう僕に出来ることといえば、血反吐を吐くまで突っ走るだけなのかも知れません。
 ひょっとして立ち止まり、辛くなって振り返ってもいいのかも知れない。でも、その度に過去の自分や今の人々が僕を励ましていて、その重圧にたまらなくなってまた走り出すわけです。僕は気が狂うまで走りつづけなくてはならないのかも知れません。
 きっと、僕は何か勘違いしていると思います。でも、その勘違いを否定できる人は僕の周りにはいません。それに、今走っておかなければ越えられない坂なのかも知れません。いずれにしろ、答えは僕が出すものではないのでしょう。全ては、何かが産み出されてからです。