TVのニュースやワイドショーが、横浜のマンションを紹介してくれます。「報道陣が取り囲み、騒然としています」と報道人が言っています。もううんざりです。
否、もちろん住人の皆様の苦労などがうんざりと言っているのではありません。報道の態度がうんざりなんです。あれは煽動です。
「ほら、ここに犯罪者集団がいるぞ、次は何をするんだ?小競り合いは起こってくれないのか?地元住人は何かやってくれないのか?もめてくれないのか?蚊帳の外からお茶とせんべいを食べながら静観する人達がわくわくような出来事は起こらないのか?」
世論に弱い世間の人や政治家さんは、彼らの仲間がその町の住人になることを恐れて、ヒステリックに拒絶します。逆マインドコントロールです。気持ちはわからないでもない、だが拒否する人々は自分達がマジョリティの暴力をかざしていることに気づいていません。手段を正当化してはいけない、と彼らに言っていたのは住人の方ではなかったのですか?
無論、彼らも悪い。名前を変えりゃいいってもんじゃないでしょう。我々は彼らの本質を問わねばなりません。
でも、今の我々は、「彼らではない側の我々」は冷静な判断をしているといえるのでしょうか。
芝居がかった意見陳述も終わりました。以前から指摘されていたことですが警察や検察側の意見はどうも芝居くさくて好きになれません。彼らは「意見」する立場ではないからなんでしょうか。結論は予想通り。展開も予想通り。そして報道は「次の展開」を待つわけです。できるだけドラマティックに、できるだけハッタリのある展開を。
ドラマのような日常を待ち望む平和な国民のために、隣の部屋ではドラマのような現実を演じる人々がいる。後はそれを眺めるだけ。たまに意見したり、石を投げればよろしい。
マスコミは嘘吐きです。それを知っている我々が、マスコミに嘘を期待するのは犯罪です。現実はドラマではありません。脚色も結末も必要ありません。必要なのは真実と愛です。