どうしても分からないことがあって、とあるページのWeb掲示板をしらみつぶしに見ていたらば、利用者同士によるいざこざの始終がありました。「蚊帳の外」理論を振りかざして眺めていると、その中に一定の法則があるように思えたのです。インターネットというメディアで生まれた、インターネット上の暗黙の了解。それはつまるところ、匿名性と即時性に由来しています。
まず、Web掲示板での問題発言では、その発端が「返答(レス)」という形で行われる過剰反応に由来します。もっともそういった反応を期待して話題を振る「放火」のような行為も多いですが、これは利用者の全員が無視をしてしまえば騒動になることはないので、やはり発端は「返答」にあるとしておきましょう。「返答」という行為が至極自然に行われることがインターネットの即時性を示しています。口論のような感覚でやり取りされる「文論」は、冷静な判断のない言葉の暴力を産み、またそれを推敲して訂正する時間を与えないのですから脅威です。
次に注目すべきなのは他メディアでは検閲があるということでしょう。意図するしないに関わらず、(発言は個人であっても企業であっても)運営者の理念に沿ったものでなければ公開されない、というのがこれまでの常識でした。特徴的な意見を抜粋して公開したりすることで、問題発言も過剰反応もフィルタリングされた「交通整理のされた意見交換」を演出することが可能となるわけです。
ところが、Web掲示板の多くは運営者の見ていないところで大きく目的を逸れて「暴走」する可能性を秘めています。演出者無しの舞台、全ては利用者のモラルに懸かっているのです。これは言論の自由という観点から非常に重要な点です。大きな社会としてのモラルを言うのであれば、運営者側による検閲は有効であると言えますが、その一方で、例えば元の話題を逸脱した討論がやがて人種差別などの大きな問題を生んだとしても言論の自由である、という考え方も(ある意味で)重要です。
また、こういった問題が発展すると過激な言葉の応酬になります。文字という決められたルールの中でより迫力のある発言をしようとアノ手コノ手を尽くし始めます。侮辱、揚げ足とり、知識を振りかざした威張りなどが王道です。否、問題発言のほとんどがこれらに分類されるのではないでしょうか。口論の場合は「無視」という作戦もあるのですが、前述したようにインターネット上での発言に対する基本姿勢は「無視」なので、これはまだ推奨される対処法です。
侮辱する記述などは壁の落書きや怪文書と同類といえます。揚げ足とりや威張りの記述は、特に専門用語や専門知識などにまつわる場合が多いと思います。コンピュータ関連用語・知識やインターネット文化が生み出した俗表現は言うに及ばず、あらゆる専門用語・知識が使われます。僕にも覚えがありますが、知識というのはひけらかしたくなるものですから、こういう行為があるというのは別に特別なことではありません。ただインターネットの場合はそれそのものが事典のようなものなので、知識の源泉が無数です。その気になれば爆弾の作り方だって分かるんですから、そういうキワドイ発言もしたくなるってものでしょう。
なんだか、結論に辿り付けなくて申し訳ありません。
冷静に分析してみると面白いですよ、ってことが言いたかったのかも知れません。否、それよりも、こういったつまらないいざこざは止めましょうね、ということが言いたかったのかもしれません。
一番言いたかったのは、Web掲示板で繰り広げられているこういった問題の中に、現代社会の病理が間違いなくある、と僕は確信しているんだということです。