ごめんなさいとありがとうの履歴

ごめんなさいとありがとうの履歴

 どんな言い訳を並べても、自分の心すら満たされない後悔というのも確かに有ります。
 例えば、僕の3年間です。
 変わったのは年齢と髪型とCDの枚数でした。
 高等専門学校に進学した理由は、 大学に行きたくなかったからです。
 TVは世界が大変なことになっていると繰り返し告げて、その一時間後には女の人の裸が映っていました。本屋さんでは、重大な警告とやらが色褪せたカバーを破られつつ端っこに居続けました。
 普通の人になりたかったこともあります。でも、それには納得のいかない理屈に迎合できるだけの度胸が必要なのです。僕は、そんな勇気を持ちあわせていませんでした。
 だからこそ、納得がいかないのです。普通科の高校に入れば、絶対に大学へ行かされる、でもそれは何故なのだろう、誰がいつ、そう決めたのだろうと考えた中学3年の時、高専に行くことを決断したのです。
 そうして入ったのが、北国のとある街にできたばかりの不思議な建物でした。

 そこは個性と個性のぶつかるところでした。中学までは誰も教えてくれなかった地球がそこにありました。人の数だけのドラマを知りました。モノを創る楽しさ、この世界の美しさを知りました。
 でも、TVは相変わらず、この世界は汚れていると叫んでいます。
 また疑問を抱くようになりました。誰も信じ切れなくなりました。ひょっとしてこの学校は、誰かが空想した虚像なのではないかと、街や風俗や映画のように、誰かがシナリオを書いていて、僕がその駒の一つになったに過ぎないのではないかと、そう思うようになりました。
 そして、先生が言いました。
「君は成績がいいから……」

 今思えば、僕の目の前にガラスの厚い壁があって、そこに映り込んだ自分の矛盾に腹を立てていたのかも知れない。
 その証拠に、世界は一向に変わろうとしないのに、僕は大きく生まれ変わってしまった。

 高専での3年を全うした3月末、僕は退学届けに自分の書いた詩(散文詩)を付けて、学校に出しました。親の反対があってすぐに休学届けに変更になりましたが、付けて出した理由書代わりの詩はこんな内容だったと覚えています。

「4年目の春はゆううつだから、僕はここを止めてしまわなければ。
 何を教えられ、どこで育てられ、全てを裏切ろう。」

 偉そうなことを言って、結局あれほど嫌っていた大学生になりました。今思えば素晴らしい先生たちに出会えた高専であったことを、僕はようやく認めることができるようになりました。
 ありがとうございます。
 ごめんなさい。
 学校へ行かなくなってからは、遊んで過ごした3年間でした。2年目からは予備校に通っていたのに、勉強の仕方すら知りません。大学に入れたこと自身が奇跡なのですが、その奇跡を感謝する暇も無い日々が続いています。
 誰に感謝するのかも分かりませんが、ともかく生活は変わりました。
 変わり続ける永遠、例えばそれが予定調和でも、もうそんなことは些細なこと

 これが僕の「ありがとう」です。
 皆さん、どうもありがとう。