2012

MacBook Pro Retinaモデルをまだ買わないと決めたショボイ理由

銀座の店頭で話題のRetinaモデルなMacBook Proをみてみた。

Retinaディスプレイは、iPhone(iPod Touch)で観たときに「うぉぉぉー!」と思った。iPadで観たときに「なるほどー、こりゃいいわ」と思った。で、MacBook Proでみたとき、残念ながら「うん」としか思わなかった。

どういうことかというと。

iPhoneの大きさで高精細なグラフィックをみると、これはコンパクトな情報端末としてのある種の完成形を見た気がした。情報を詰め込んでいる感じが凄く伝わってきた。

iPadの大きさで高精細なグラフィックをみたとき、これは紙が要らないなと思った。字が綺麗で目が疲れない。

だが、MacBook Proでみたときは、特に何も驚かなかった。3回目だからインパクトが薄かったのか。いや、それよりも用途の違いだろうか。

店頭で見たとき、これまでのモデルと比べて作業領域や操作性がどれくらい変わるかという点を注目した。これまでのRetinaモデル同様、基本的には非Retinaモデルと同じ寸法の表示領域に4倍の情報を詰め込むので、寸法という点からみると作業領域や操作性は変わらない。現物をみて最初に思ったこと、それは「あ、テキストが4倍表示されるわけじゃないんだ」(註:設定すれば可能なのだろうか?店頭でそこまで試せなかったし、その前に心が折れた)という、至極当たり前の、過去2回のRetina体験やカタログスペックで既に分かっていた事実の再確認であった。

そうなると、野村個人の趣味的な観点で考えれば、15インチは大きすぎた。もしも何の特徴もない製品だったとしたら、2kgの15インチマシンは選択肢に入らない。

これからノートパソコンのディスプレイは、各社とも精細化していくのだろう。そしてそれが当たり前になっていくのだろう。高精細ディスプレイが当たり前になったとき、自分の手元にあるマシンが15インチだったら……野村個人の趣味的な観点でいえばつまらない。

だから。

金が無いので買いません。


貧乏暇なし

気がついたら日記が一ヶ月以上空いてしまった!これじゃ月記だ!

今年の前半は仕事を入れたりせずに自分のことをやろうと云っていたのに、実は知人経由でお仕事の依頼を頂いてしまい、結果として忙殺されているという……。しかも会社員時代よりキツいという……。


連休なので映画を観たよ

沖浦啓之監督の待望の新作「ももへの手紙」を観た。興行成績、大丈夫なのかなぁ。本当に客が少なかった。

まず文句を言いたい。7年も作っていたせいで逆に(制作費改修のために?)公開時期をうまくコントロールできなかったんじゃなかろうか、完全にタイミングが悪い!作品の内容から考えたら夏休みでしょうに!今年の夏は細田守監督の新作が公開されるから、知名度からいって不利と判断した気持ちは理解できる。でも、作品が完全に夏仕様なのに!

ラストのたたみかけが冗長すぎる。全部の伏線を改修したいのは分かるが。特にこの作品は人物の表情を作画でばばーんと見せる(魅せる)のが特徴なので、くどく感じる。

声優が、ちょっと。最初に配役を聞いたときは耳を疑った西田敏行のほうがむしろ好印象という。

でもね、この映画、好きです。とにかく作画がすてき。ジブリ作品をみて「CGに頼らない作画が云々」と語りたがりな方々は是非観て頂きたい。神作画は別にジブリの専売特許ではないんだ、日本のアニメを支える技術力の一つなんだ、といえる。モブ一人(一体)から丁寧に作画されているし、なんといっても仕草が気持ちいい。キャラデザが時流に乗っていなくて残念ながらあまり可愛くはないが(いや、ところどころ主人公のももがめっちゃ可愛いカットもあるよ)、とにかく丁寧だ。ここまで行くと実写のほうがいいんじゃないか?と思えなくもないが、実写だと逆にここまで作り込めないんだよね。実写ならば一流の役者に一流の演技をやってもらう必要があり制作費がうなぎ登りになっちゃう上に、それでも監督のイメージどおりに作れる保証はないわけで。

脚本は首をかしげたくなる部分もなくはないが(説明的過ぎだったり、強引と感じる部分もあるし)、お母さんの描写は(ラスト以外は)ハッとさせられた。

というわけで、ここから先は全く流行る様子も要素も感じさせてくれない「ももへの手紙」ではあるが、「マイマイ新子と千年の魔法」とか「カラフル」のように隠れた名作枠ででもいいからもうちょっと評価されて欲しいな、と思う。

もう一つ観に行った。「バトルシップ」。まごうことなきバカ映画。こんなヤツに人類の未来を託したくないというチャラ男を演じた主演のテイラー・キッチュと、かなりおいしい役どころをかっさらった浅野忠信による熱い漢の友情ドンパチSF。正直に白状すると、前半はつまらなすぎて途中で意識を失いかけたが、バカ映画なのでストーリーを見失うようなこともなく。ドンパチがスタートすればもう大丈夫、いけいけ打て打て、アレ?いつの間にか重要人物がひとり消えていた、でもいいやゴーゴー!

「バトルシップ」はそんな感じ。盛り上がりたいときにおすすめ。


自転車欲しい!でも乗りたくない!

我が家には自転車がない。偶然が重なって、自分の分も嫁サマの分もなくなった。

無いとなると、それはそれで不便なものだ。特にこれからの季節は遠出もしやすくなるので、2台あると素敵だし便利なような気がする。欲しいと思って自転車をネットなどで探すと、或いは知人の自転車を見ると、カッコイイ自転車が欲しくなってくるものだ。我がアパートは自転車置き場が雨ざらしなので、軽量な自転車にして玄関まで持ってきたほうがいいのか、などとも妄想する。

だが一方で。

ひとたび町に出ると人混みをベルかき鳴らしてヨタヨタ走る自転車、乱暴な速度の自転車が目につく。

えー、自転車に乗るとアイツらと同類になるってことですか?それは嫌だ。

自転車に乗っている人の多くがマナーが悪いということではない。それは知っているつもりだ。だが、自転車に乗らない生活をすると、マナーの悪い自転車の印象が強く植え付けられる。マナーが良いということは人間社会のルールや町の風景にちゃんと調和している訳で、従ってそういったものは目にとまりづらい。逆に社会を乱すもの、生活を脅かすものはどうしても印象が強くなってしまう。

自転車は欲しい。でも自分がマナーが悪いヤツらと同類にみられるのは耐えられない。そんなことを最近ウダウダと悩んでいる。


アプリやサービス作るなら法務こなさないとまずい

あー、鼻がムズムズする。

薬も飲まないで、マスクと花粉メガネもしないで外に出たのがまずかった。まだ、スギ花粉は空中をさまよっていた。

ところで。

意味の無いプライバシーポリシーのコピペが蔓延するくらいなら、法律の専門家と連携する互助会をお金出し合って作るほうが健全だよね。誰かそういう動きを起こしていないのだろうか。時には起こせよムーブメント。

個人事業主になって、これから行う仕事について色々妄想を重ねているのだが、リスクに関する懸念はなかなか払拭できないでいる。

例えば、AndroidアプリをGoogle Playストアで販売しようとする。現在、Google Playストアはアプリ売り上げレポートを販売業者に開示する際に、日本の「個人情報の保護に関する法律」で個人情報と定義されている情報を付加して開示する。もしも、5000人以上のユーザーに売れてしまったら、個人情報の開示を望んだかどうかは関係なく、販売した法人や個人事業主は個人情報取扱事業者としてその情報を適切に措置する必要がある。

これね、法律は全く正しいと思う。5000人もの個人情報を抱えている人にヘマされたくないよね。だが、ぶっちゃけ個人情報なんて要らないんだよね。自分が例えば通販会社を運営していたとして、個々のユーザーの住所を隠したままでも商品が発送できる仕組みがあるならばそのほうが嬉しい、と考えるのはおかしいだろうか。

家計簿を付けるときに、いっときレシートの店名やおおよその場所をメモしていたことがあった。付帯できるデータは付帯させておいたほうが後々楽だろうと思ったからだ。だが果たして家計簿に店名は不要だった。月単位での食費がいくらだったのかが重要であって、スタバのコーヒーなのかタリーズのコーヒーなのかは全く関係がなかった。

技術者として、一度はAndroidアプリ作ってみたいよね。タダでもいいけど、ぶっちゃけ収入ないんで100円でもお金を払ってもらえるとうれしいよね。でも、個人情報要らないんだよね。

ま、例えばこんな感じで個人事業主の悩みは尽きないわけです。