2010

今月観た映画

先月に引き続き宅配レンタルで観た映画の話。

ピーター・ジャクソンとスピルバークで制作した「ラブリーボーン」。幽霊もののサスペンス映画で、ピータ・ジャクソンがグロくて汚い画面にしようとするのをスピルバーグが腕力でねじ伏せた感じの美しい仕上がり。このオチは全くもって受け付けられない人も多いかも知れないが、個人的にはアリだと思うよ。

日本映画「南極料理人」は公開当時観に行こうか迷った作品。ほのぼの映画なので映画館で観る必要性は無いけれども、これは普通に面白いのでお茶の間でご家族とぜひ。

韓国映画「母なる証明」。韓国の田舎の事情を描いているのだろうか、ちょっと今までの韓国に対するイメージとは違う貧困層の描写が気になった。サスペンスとして考えると悪くないんだが、画面に華がないのがなんとも辛い(恐らくそういう意図で作られているのだろう)。よってオススメできない映画。

で、残りはシリーズ物のアニメ映画「空の境界」だった。先月に観たところまでだと自分の中では微妙な評価だったのだが、最後まで観ると結構力が入っていて良作だった。つまりシリーズの中でも印象がバラけてしまっていて、それが全体の評価の足を引っ張っている感じ。よって、映画単体では万人にオススメできない。原作を読んで面白いと感じた人にはオススメ。

それにしても、まだ昨年の話題作で未見のものが残っているなぁ。


ちょっとだけ札幌に帰る

この連休を利用してちょっとだけ実家に帰る。まさにトンボ帰り。貧乏暇無し。


8月に借りたDVDの話

定期的に日記を書く方法を思いついた!前の月に借りたDVDのことをかけばいいんだ!なんとなく自分の中で作品に対する心の整理がつくかも知れない。

野村は宅配レンタルサービスを利用している。予約リストに観たい作品を入れておけば、その中から毎月合計で8本送られてくる。時間があるときに一気に登録できるのと、延滞料が付かないのが便利。その分割高だけど。

まず「Dr.パルナサスの鏡」。テリー・ギリアム監督作品というイメージよりもヒース・レジャーの遺作というイメージが先行してしまったことで、一体何の作品なのかすら分からないまま観た。テリー・ギリアムっぽい、からくりとか舞台仕掛けがいっぱい出てくるので楽しい映画だったが、これといって格言めいたものも何も無いストーリーなので(おとぎ話的な感じ)一般受けはしないな。

「空気人形」。是枝裕和監督の作品を観たのはこれが初めて。はかなくて奇麗だ。ただのセンチメンタル一本背負いでは終わらせないという意図も感じ取れた。ただ、いつも思うのだが日本の映画の音楽の入れ方は酷い。この映画も酷い。しつこい。おかげで、ただのセンチメンタル一本背負い映画になってしまう。

「2012」。もうね、きっかけなんかどうでもいいのよ、地球が崩壊するから逃げろー!ってだけでお腹いっぱいだから大丈夫。あとは家族の物語だから。スケールの大きな家族の物語。頭使わずに観られる(皆さん想像のとおりのストーリー)ので、大画面で何か流そうぜー、ってときに便利。

「サロゲート」はターミネーター3(永久欠番)の監督さんですか。あ、この人「ハンコック」も撮っているのか。「サロゲート」は純粋なSF映画。ストーリーはライト(分かりやすすぎ)だけどまぁまぁ面白かった。夫婦の(奥さんの)人間模様でもっと攻めても面白かったかも知れないが。

「サンシャイン・クリーニング」はアメリカな感じのハートウォームコメディ。可も無く不可も無く。「リトル・ミス・サンシャイン」の製作チームが作った!というふれこみだったので観てみたのだが、「リトル〜」のほうが好きだった。

「カールじいさんの空飛ぶ家」。PIXAR作品は褒める人がいっぱいいるから褒めない。これは他のPIXAR作品より好き、虫が出てこないから。

で、あとは劇場版 「空の境界」 という全7作品の連作アニメーションがあって、それを2本観たのだが……。まぁ、原作好きだったから最後まで観るけど、これはもっと頑張って欲しかったなぁ。


tDiary3.0.0を導入した

本日はRubyのイベントが行われているようで、その席上でtDiaryの3系が正式リリースされたそうだ。

というわけで早速アップデート。何が変わったということも無く。

この日記もそろそろリニューアルしないとなぁ。なんだかんだで2004年からほぼ同じデザインのままだ。ただ、2004年当時と比べてみると、無料ブログサービスがあらかた暴れ回った末にTwitterの台頭があって、Webサイトに日記を書くという行為そのものが変化してしまった印象がある。さりとて日記は日記なんだけどね。

(参考):tDiary.org – tDiary 3.0.0リリース


日本語キーボードってなんだろう

キーボードというものはかなりレガシーなデバイスだと思う。進化しているようにみえない。QWERTY配列でほぼどのキーボードも同じような形で、現代のPCを扱うにあたって「人間が機械に合わせる」必要があるデバイスとして今も作業スペースのど真ん中に鎮座する。

いや、便利だよ。便利だけど、それはもう自分が「キーボードのある暮らし」に慣れてしまったからなのじゃないかという疑問は拭えないわけで。その次は手書き認識か音声認識か脳波デバイスってことになってしまうだろうか。もう、文字を打つという行為自体が違う形に変わるまではこのままなのだろうか。

とりあえずキーボードが別の形に進化するにはまだ相当な期間を要するとして、では日本語キーボードってなんなのだろうか。

日本人のために特殊なキーをそこかしこに追加した日本語キーボード。野村はこの日本語用の特殊キーがとても苦手だ。

英語配列キーボードでも日本語は打てる。キーボードから入力された信号を受け取ったOSが、そのキーに対応した動作を開始するだけだ。つまり日本語キーボードというのは、英語配列+日本語向けショートカット付きキーボードに過ぎない。ただでさえキーの数が多いのに、そんなショートカットは邪魔じゃないか?なんでそんな無駄なキーが「標準」のような顔をして鎮座しているのだろう。

日本では英語配列キーボードが劣勢だ。ということは、それだけ多くの日本語圏のPCユーザーが、あのショートカットボタンが便利だと思っているのだろうか。変換候補やF7キーなどを使わずに「かな/カナ」を押してカタカナを入力しているのだろうか。IMEをオフにしないで「無変換」を押すのだろうか。というか、日本語配列を使わないので、それらのキーを押すと何が起こるのか想像できないのだが、みんな使いこなしているのだろうか……。