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第26回「来なさい、2000年」(1999/12/27)

 福岡にとって忘れがたい1999年、ノストラダムスはネッシー以下の悪戯であることが証明された1999年、僕の厄年1999年が終わろうとしている。
 さて、年内最後の日記には、当然このことを書かなくてはならない。もし何らかの事情でゆゆしき事態が発生したとき、発生しなかったとき、このページは僕やごく一部の方々にとって一服の清涼剤になることを期待して。

 マスコミも一所懸命に報道しているY2K。ちょっとまて、シロートさんに「2K」って表記はどうかと思うぞ。オタク用語が市民権を得るのはあまり歓迎されたことではない、「ミレニアム」並みにムカつく。そんな用語を使っていいなら、日立のサービスセンターの人がハードディスクのことを「ハード」と呼んでいたのを、「そんな略称は存在しない!君はちゃんとパソコンのことを分かっているのかね!」と怒鳴っていいことになる。こっちは「サポートセンターといえども、新人だっているよな」とか「ここで意固地になると東京芝浦の電気会社みたいな事件になるかも」とか思って気を利かせて……(以下数行割愛)。
 ニッポンの総理大臣らしき人が声明で「万が一」の可能性について備えるようにと言っていたが、状況が状況だけに全く正しいコメントであると評価する。恐らく今年の彼の発言のうちで唯一の合格点である。だが、伝えた報道の表現には精彩さを欠き、図らずも報道各社の「社会部」のハイテク度が露呈されたと思う。パソコンは市民権を得ることができたが、やはりコンピュータというもの自体はブラックボックスなのだな、と実感した。
 テレビ等での報道では、正直言って時間が短すぎるように感じた。簡単に説明しようとすれば限界が生じるのは仕方ないとしても、「危険性」ばかりを強調してしまっては、有事の際のパニックに火を付けるだけで逆効果ではないだろうか。それに何もなかったとしても、この問題のために動員されているSEの数や予算や時間を考えれば、もっと大きな扱いでしかるべきだ。
 中途半端な大げさ報道は、「ウチの冷蔵庫は2000年になったら壊れるのでは?」などというキミョーな誤解を産んだ。ありがとう。面白かったよ。でも真剣にそんなことを質問される身にもなって欲しい。
 僕が質問を受けたので多かったのは電気やガスや水道が止まることはありえるのか、ということ。ライフラインって奴だね、確かに心配はもっともだ。僕が不思議なのはカセットコンロを備えようとしている人がいるということだ。ライフラインが止まっているときに火を扱うのかい?じゃあ、火事になったら誰が火を消すんだい?ライフラインが止まっているときに消防車を当てにするようじゃ、読みが浅いぜ。俺ならこう考えるぜ、「何もかんも止まっちゃったから、俺も何もせんで寝とこう。トイレにいったって水も流れないさ」。
 ニッポン人の危機管理ってものが分かっちゃうよね。じっと待てばいいんだよ、正月なんだし。慌てて銀行に行って残高確認しようとしたって、正月休みだってば。金が動いてないんだよ、年末に銀行が残高確認して記録をバックアップしたまんまだよ。毎年そうだよ、今年もそうだろ?なんで今まで信じてきたものを信じられなくなるんだろう。そんなに心配なら普段から記帳しておきなさい。2000年に限らず、いつコンピュータが止まるのかなんて、誰にも分からないんだから。

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