第3回「NEC」(1997/10/06)
よきにつけ、悪きにつけ、この会社がニッポンのコンピュータ社会を動かしているのは確かなのだ。
僕がMS-DOSやWINDOWS3.1を使っていた時のマシンはPC-9801BXだった。兄が約50万円かけて環境を構築したのだ。あれはあれで幸せな日々だった。なにせ右を見ても左を見てもPC-98ばかりだったから、何の疑いもなくPC-98ワールドを堪能したものだ。
最初に疑問を抱いたのは、メインメモリと呼ばれる640kの壁に当たったときであった。その頃からPC-98用のソフトがハードディスクにインストールできるようになってきて、説明書に奇怪な一文が見られるようになった。
「メインメモリに580k以上の空きが必要です」
はて。
確か我が家のマシンは8MBものメモリを(当時は、8MBの増設といえどもすごいことであった)足してあるので関係は無いはず。……、おかしい、動かない、何故?なぜぇ?
奇怪な現象はWindows95の登場と共に拍車を掛ける。
「要・マルチスキャン(シンク)ディスプレイ」(注:マルチスキャンとマルチシンクは別の言葉であるが同一視されることも多い)
なんと!しかしDOS/V版のWindows95にはその記述はないぞ。何故PC-98だけ?と考えたあげくの我が兄弟の決断はすごかった。今まで動いていたものを、たかだかOSごときの要求によって捨てるわけにもいかん。動くはずだ、今までもそうであった。
当時の我が家のPC-98にはウィンドウ・アクセラレーターなるボードが積んであった。DOS/Vのビデオ・ボードとは一味違う、こいつはPC-98用のアナログ・ディスプレイ上に800x600の画像ですら平気で表示してしまう悪魔のボードなのだ(アナログ・ディスプレイは640x400、16色表示)。Windows95が標準で640x480、256色の解像度を要求しているのは既に知っていた(しかし、こちらの解像度の方がメジャーだということはDOS/Vを使うまでわからんかった)が、ウィンドウ・アクセラレーターさえ動けば、アナログ・ディスプレイでも何の問題もあるまい!
で、結果、動いてしまったのだ。
悲劇はここからはじまる。
Windows3.1肯定派で、Windows95に対し否定的な意見を持つ人々の大半は何かしらのトラブルを抱えていた。曰く「よく落ちる」「よく凍る」「よく化ける」「思いどうりにいかない」というものだ。Windows95発売当初、このような意見は雑誌等を賑わしている。そして我が家でもこれらの現象をほぼ全て目の当たりにすることができた。だからてっきり、これがWindows95の実態であると思っていた。
不安定なWindows95は、やがて再インストールを余儀なくされる。どうも上手くレジストリが消えない、ハードディスク上のどこからか古いドライバを拾ってくる、ということからハードディスク毎フォーマット。で、また再インストール……。
忘れもしない1996年1月。奴は他界した。ハードディスク、殉職。約一年前、当時としては破格の7万円で購入したNEC純正1GB(SCSI)は、10万円で修理しますか?というNEC受付嬢のふざけた一言で止めを刺された。亡骸を手に抱きNECを去った兄は、数日後やはり1GBのSCSIハードディスクを購入、価格は3万円台であった。余談だが、殉職したNECのハードディスクは我々兄弟の手により細部に至るまで奇麗に解剖された。
この事件の原因は、件のウィンドウ・アクセラレーターではなかろうか、という見解を導き出したのはそれから間もなくのことである。どうやらWindows95は10回に1回も落ちることはないらしい。我が家の環境が変なのだ、という結論である。
そして手にしたのが現在も現役であるSONY製のディスプレイであった。Windows95の方はというと、それ以降も20回に1回は落ちた。これはやはりNECのせいであろうと断言、DOS/Vに乗り換えることとなるのが、それはまた別の話……。
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