野村はリサイクルショップの次男で、だから中古品には差別感どころか愛着すらあるのであった。
ところで、福岡市は1997年11月を以って大型ごみの無料回収を終える。ということは大型ごみは11月がピーク、旬、ホットであるわけだ。
リサイクル屋のせがれ、野村はごみを漁ることになんら違和感を感じない。で、つい先日友人と天神(福岡の繁華街)に向かう途中にもやはり、ごみ収集場の最後の光景を観察していた。
「あれは何だ?」
そこには独特のテンションを保ったまま、ワイヤーフレームの3Dのようなか細いラインでしっかりと描かれた構造体があった。あれは、パソコンラックではないか!しかもディスプレイ落とし込みタイプ!
出物である。紛れもなく、それは上物の出物であった。野村の目はコンパスの軸のようにぴくりとも動かなくなり、それまで回転運動を続けていた自転車のタイヤをも止めるほどであった。
友人は、言った。
「帰りに拾って帰ればよいのでは」
野村には鉄則があった。見つけたときが拾い時。しかし友人の言うように、今拾ったところでこれから天神に向かう彼らの妨げ以外の何物でも無いことは自明である。野村はメビウスの自問自答を繰り広げ、挙げ句いったんその場を離れることにしたのであった。
しかし、野村の鉄則に間違いはなかった。
数時間後、野村は再び友人とともに(友人は運ぶのを手伝うために同行したのは言うまでもない)かの地点を訪れた。あたり一面の混沌とした様子は変わらなかったが、あいつはすでに姿を消していたのだ。
野村にとって、これはショックではあった。ただ、野村にとってこのような経験は日常のごくありふれた出来事でもあった。また、このように姿の見えぬ何者かと宝のごみを奪い合う様は、野村にとっては快感にも近いのである。野村はゲームに負けた。しかしあくまでそれは、たかがごみ拾いゲームである。野村は、自分は良いごみに目を付けていたのだ、という誇りを胸に帰路についた。
運命はかくも面白い。
学生寮に戻った野村は、寮の先輩にその出来事を語った。先輩は意外な一言を返した。
「わざわざ拾いにいくこともあるまい」
その先輩の部屋から野村が昼間見た、いやそれ以上に状態の良い、ディスプレイ落とし込み型のパソコンラックが出てきたのであった。
教訓「捨てる前に、野村に一言」