私が長い眠りから醒めたのは、果たしていつの事だったろうか。
気が付くと、私は夢中で水を追い求めて、這いずり回っていた。咽喉の乾き。飢え。私は、導かれるように、この灼熱の太陽の下を這っている。
私は盲目であった。
昔からそうであったのではないだろう(否、過去という歴史を私は失っているので、それは定かではない。だが今、私の脳裏には、充ち満ちた水を湛えた湖の絵が浮かんでいるので、或いはそれが私が以前に何処かで見た景色やも知れぬという、それだけである)。
私は名前も失った。繰り返し、繰り返し、私は私を呼ばれているような気がしていて、だからこうして灼熱の中を這っているというのに、その呼ばれている名も分からないのだから、甚だ滑稽である。
あの晩——数少ない、私に残された記憶の一つであるが——重く、暗い石室の中に閉じ込められていた私は、その石の隙間から、強烈な光が刺してくるのを見た。否、その時の私は夢とも現とも付かぬ状態であったから、実はそのような事実は無かったのかも知れない。
「足」はあるのだ。先程から、石やくぼみやらに引っ掛けてばかりいるのだが、私は、実はこれの使い方を知らない。確か、「歩く」ためのものである筈だ。脳裏にその様子を思い描くが、ままならぬ。まるで、私の体に木の枝をくくり付けられて、それを「足」と呼んでいるかのようだ。なのに私は誰に教わったわけでもなく、それが「足」だと知っている。ふざけた話だ。
滑稽だ、滑稽ではないか?自分と呼ばれるこの物体の一部品なのに、私がそれを使えないで、誰が使うのだろう。
そういえば、私は此迄の長い道程で、獣の一匹にも出くわしていない。草にも触れていない。石と、土と、空気と、私の背中をこんがり焼いているだろう太陽ばかりが、私の仲間だった。
水と食物を求めているのだ。なのに、太陽が弱々しくなりどこかへ消えて、夜の闇が冷たく身を震わし、また太陽が現れて夜をかき消し、何度もそのような営みを迎えたが、私のこの僅かながらの前進は止まることを知らなかった。
だが、動けなくなることも無かった。飢えている。欲しているのに、死にはしない。誰かが私を生かしているのか?悪戯のようだ。神の悪戯としか思えない。
太陽の営みから、私は自分が北東の方向に向かっていることを知った。道程は勾配を増していく。山を登っているらしい。導かれるままに、盲目の私は水と食物を求めた。土埃を噛んでも、爪が剥げても、私は止まれなかった。
そうだ、もう一つ思い出した。
私は、今のこんな私に似た、生物を前に見た。とても小さな、白い生物の大群だった。借りて、返す。確かにそう言って、水辺を目指した。
大いなる生の衝動というと、まるで無意識のように感じ取れるが、そうでなく私は、確かに、欲している。訳があったり、利益を求めているのではなく、純粋に欲している。それが存在を決定付ける唯一の意味である、とでも言おうか。否、言葉などでは軽々しく表せられぬのだ。次元が違う。私は、言語の次元をも包括する、その外側の真理に基づいた生について、おこがましくも語っているのだ。
……やがて、水の波打つ音が聞こえた。確かに、私の道程に間違いは無かった。無性に喜ばしいことに思え、私は涙を流し、更なる一歩を目指して手を伸ばした。
(待って下さい)
何者かの「声」であった。はっとして、私は手を止めた。私は背後に何者かの気配を感じ取った。
(それは私のお母さんです)
「お母さん?」
私は手をゆっくりと下ろし、その指先で何かに触れたので、また止めた。
——花?——
優しく、弱々しい感触に、私はそう思って、匂いを臭いだ。微かに心地良い薫りと、草の匂いがあった。
「これは、貴方のお母さんですか?」
(そうです)
後ろの若い娘は、透き通るような「声」の持ち主で、私はその「声」に聞き覚えがあった。
「貴方のお父さんは?」
(すぐ横にいます)
私は再び手を伸ばしてみた。やはり弱々しく、触れるものがある。こちらも、これも、花だ。並んで咲いているのだ。
私は、生命の記憶の底に隠されていた、一本の糸のように連なる生の先の、使命を思い出した。貴方は生という使命を負った。貴方と貴方の子孫はこれから、歴史と呼ばれる、重く辛く苦しい罪を背負って生きることになるだろう。糸のように連なる、歴史という名の罪を、その罪の……。