メルティーヌ王国、バカサ城の大会議室では、緊急国家最高会議なるものが行なわれていた。丸い会議机を囲んで、国王を除く主立った大臣達が集っている。ボウを除いて皆、一様に怯え、肩を震わせていた。議事進行の自治大臣のか細い声が、ようやく部屋の隅々へ届くばかりだ。
会議室の壁に沿って、軍の第二師団が会議机を遠巻きに囲んでいる。精鋭達の手にはボウガンが持たれている。大臣達は何度もそちらを伺い、唾を呑んだ。そして、次々と述べられる議題を、賛成の一言を繰り返していった。
国家最高立法権、最高行政権、司法権が大将軍に移行する。初代大将軍にボウが就く。全てはあくまでも事務的に遂行された。いよいよ自治大臣が最後の議題を記した書類を持ち、にわかに手を震わせる。
「議題十四、刑法改正案、国家反逆罪、及びその容疑の有る者を、国家の有事の際に国家最高司法権により即時裁判、即時判決、刑の即時行使を……」
読み切らぬうちに、すぐに感の良い者から、次々に賛成の声が上がった。両手を挙げて、大声を上げ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに濡らして、賛成、賛成、賛成と繰り返した。書類を弾き飛ばす者、立ち上がり敬礼をする者、国家を歌い出す者まで現れ、騒然となった場内を見回し、ボウはにやりと笑って口髭をいじった。最後まで会議を見届けようともせず、立ち上がり、席を離れ、大会議室を後にしたのだった。
部屋を出てしばらく歩き、途端に年寄り達の声が止んだのを確認して、もう一度ボウは口髭をいじった。脇に控えていた兵士に、
「出発する」
と告げて、一歩一歩、わざと音を立てて歩きながら、赤い絨毯を突き進む。
「そうそう……」
と言って、急に足を止めて振り返った。
「あれも、始末しておいてくれ」
脇に控えていた兵士は敬礼をして、微かな笑みを伴いながら答えた。
「ご心配なく。既に手配してあります」
ボウは静かに、満足気に頷いてまた足を進めた。
パシャールは私室の窓から、ボウと第二師団が出発するのを静観していた。群れ成す蜂のように、生き急ぐように一目散に走り出す馬車の群れに、パシャールは静かに笑った。
扉を強く叩く音があった。パシャールはゆっくりとその前に向かう。おもむろに開けられた扉の向こうで、ボウガンを構えていた若い二人の兵士は驚いた顔をみせた。扉の先の、パシャール王は正装をしていたのだった。派手な色と締まらないベルトを、きちんと身に纏って、まるで兵士を待っていたようだ。
「なあ、君達、ちょっと付き合ってくれんか?」
と言って、パシャールは二人の間を割って進んだ。若い二人の兵士は顔を見合わせ、そそくさと先を行くパシャールに続いた。
どうやら、もうこの城には誰も残っていないらしい。パシャールは途中、誰とも擦れ違わなかった。少し恐いくらいに静かな城内を、一行は迷わずに突き進む。やがて、長い螺旋階段を降り始めた。若い兵士は、流石にこんな所までは来たことが無い。パシャールはランプを持つように勧めた。背の高い方の兵士が、階段の途中で灯るランプを一つ、もぎ取る。地の奥へと続いているようだ。階段の先は、かび臭い暗闇である。
湿った空気が肌を包み出して、もう何周もしたろうか、やがて目の前に大きくて古ぼけた扉が現れた。
「これは?」
背の低い方の兵士の問いに、パシャールは振り向いた。
「まあ、入ってみよう」
扉は長い間閉ざされていたらしい。ぎしりぎしりと揺れるばかりで、ちっとも云うことを聞きそうになかったので、パシャールは体当たりした。木製の扉が粉々に砕け、煙たい空気が辺りに立ち篭める。その中へパシャールは突き進んだ。
中には、愚にもつかぬ物が山と積まれてある。どうやら、倉庫のようだ。パシャールは手招きで、灯りを持つ兵士を呼んだ。そして、山の中をひっくり返し始めた。
「あった、あった」
埃だらけの室内で、パシャールは大きな鉄製の筒状の容器のような物を持ち出した。その脇から管が延びて、先にはボウガンの銃身に似た装置が付いている。背の低い方の兵士はそれを認めて、危険を感じてすかさずボウガンを構えた。パシャールは笑った。
「見てご覧、何も出ないよ」
パシャールは引き金を引いた。シューという音がするが、何も見えない。
「それは何だ?」
背の低い方はボウガンを降ろして聞いた。
「ロンサ爺の発明だよ」
「へえ」
背の高い方は管の先の覗き見た。シューという音と、やけに油臭い空気が立ちこめているが、やはり何も見えない。
「ランプを近付けて見な」
とパシャールが何気無く言ったので、愚かな背の高い兵士は迂闊にも本当にランプの火を向けてしまったのだ。
突然、銃口が火を噴いた。それをすかさず、パシャールは二人の兵士に次々と向けた。二人の制服は瞬く間に炎を上げ、二人は地面をのたうち回る。パシャールは部屋を逃げ出し、階段を駆け上った。
パシャールは走った。とてもそうは思えぬ速さで、だが汗だくになりながら走った。背負っている油の入った容器が重たく、何度も転びそうになるが、怯まなかった。腹がたぷんたぷんと揺れる。ベルトのバックルががちゃりがちゃりと音を立てる。パシャールは一目散に、ボウの私室を目指した。
ボウは、喉元にまで今朝の食事が戻ってきているのを感じた。これは、何とも信じ難い乗り心地である。ボウは船に乗ったことも無いので、この「酔い」という現象に関して全く無知であった。ノース地方までの道中、かなり揺れるとは聞いていたが、まさかこれ程とは夢にも思わなかったのだ。
それでも、彼は大将軍の名に恥じぬよう、せいぜい胸を張って前を見据えていた。だが、限界はある。堪らずボウは、馬車の扉を開け、往来の脇の草叢へ向けて、嘔吐した。またしばらく平静を装って、堪らず扉を開ける。そんなことを繰り返して、すっかり顔色も青くなってしまった。
だが、後ろを続いた、第二師団の精鋭達を乗せた馬車はもっと大変だった。大将軍閣下の嘔吐物を避けつつ、この悪路を走るのであるから、それはもう、見るも無残だった。
しばらく進んだ所で、ボウももうすっかり胃の内容物を曝け出した頃、道の向こうから二匹の伝達馬がやって来た。第一師団、つまりダバ=ガジャ中将の伝達だった。
「最優先事項、ダバ=ガジャ中将より大将軍に進言!」
向き直り、馬車の脇にぴたりと張り付いて、伝達の兵士は叫んだ。
脇に座っている、よれた軍服の男がボウの肘を小突いた。分かっている、とボウは目で答えて、扉を開けて書類を直に受け取った。
「確認!我、大将軍に渡しました!」
伝達の兵士は事務的に用件を済ませると、来た道を辿り直すように、瞬く間に走り去った。
ボウはゆっくりと書類を拡げて、ダバのサインを確認すると、
「本当だったな……」
と、脇に座っていた男に伝えた。男はふふと笑った。
「どうなさいます?」
「罪状は明らかだ」
「それは?」
「無論、……国家反逆・騒乱罪と、軍規十九条違反。禿爺め、とうとう馬脚を現したな」ボウは、くくと笑って、嘔吐物の付いた口髭を撫でた。
「私は?」
「……君の作戦に乗ることにしよう。臨時大将補佐の位を授ける。フジル=ティトル君」「ありがとうございます」
フジル=ティトルは僅かに頬を釣り上げて、笑ってみせた。馬車の中は暗く、ボウはフジルの表情を伺い知ることは無かった。
扉には鍵が掛かっている。まあ、当然だろう。パシャールは体当たりで開けた。狭い部屋の中をぐるり見回して、「人間の形をしたもの」、または「人間の隠せそうなもの」を探した。右手に携えている、ランプの火のように微かに燃える銃口が、そこかしこに触れた。ボウの机の上の書類や、脱ぎ捨ててあったコートなどに火が飛び移る。それでも怯まず、パシャールは探した。戸棚を倒し、ベッドを壊して、でも、探していた物は見つからない。既にパシャールは息を切らしていた。
額の汗を拭った。部屋のあちこちで炎が上がっている。暑い訳だ、パシャールは笑った。だが、何としても「あれ」だけは焼いておかねばならなかった。果たして、何処にあるのか。パシャールは、巻き上がる炎の向こうに、扉をもう一つ見付けた。
クローゼットだ。パシャールはそれを開けた。綺麗に並べられた軍服を片っ端から投げ捨てていった。するとどうだろう、その向こうにはもう一つ、扉があるのであった。
見付けた。この、少女のミイラは、すっかり金髪が落ちてしまって、白い肌も静かな色合いになっているが、アマニ=メレに間違いなかった。胸に開いた槍の跡が動かぬ証拠だ。パシャールはそれを焼いた。薪が燃える時の匂いが立ち篭めた。パシャールは、へたへたと座り込んで、大声で笑い出した。
どうだ、ボウ=ダウカ。おまえはこれで、もう誰のためにも戦えまい。茶番だ、お前は今、大きな茶番の渦中にいるのだ。原因と結果?だが答えは出ない。当たり前だ、お前の存在が茶番なのだから。二十一年前、お前は死んだ。見ろ、お前の恋人はよく燃えているじゃないか。灰になって、風に吹き飛ばされ、それでも尚お前はこれのために戦えるか?悪い夢だったのだ。お前は、お前に騙されたのだ。見ろ、皆、燃えている。これが答えだ、ああ、お前に見せてやりたかった。燃えてゆく屍を見ろ、まだお前は救われたかも知れぬのにな。残念だよ、残念だ。茶番を続けるがいい。先に、地獄で、待っている。今度会ったなら、また、コンビを組もう、光と影で。