チャルは素早くセンテスの手から望遠鏡を取り返した。
「何、あれ!」
工場の奥半分が吹き飛んだ。閃光の後、夜空が轟いたように、見張り塔が揺れた。煙が立ち上がりゆっくりと火の手が上がるのが見えた。
「ちっ、黒閃石だ」
「こくせんせき?」
「あの爆発だ、恐らく相当な量だ。ダバ=ガジャめ、処分したとかほざきやがって」
「誰の仕業?」
チャルが望遠鏡を降り回したその時、工場の隣の宿舎で小さな爆発が起こった。続けて二度、宿舎の窓ガラスが吹き飛び、油に火が付いたのだろうか至る所で炎が揺れて、あっという間に敷地のあちこちに飛び火した。
チャルは、最後の爆発があった、宿舎の一番手前の入口から飛び出してくる、就寝中の隊員達の逃げ惑う様子を追った。
犯人が、この混乱に紛れて出てくると予想したのだ。そして、その予想は的中した。
枕を抱えて、シャツ一枚で逃げ惑う青少年隊員達に紛れて、一際大きなリュックを背負った男がいる。
靴が一人だけ違ったから、すぐに分かった。
リィナは鉄格子にしがみ付いて、身を縮めた。
「ねえ、どうしたの?ねえ!」
何かが崩れ落ちる音が、途切れ途切れ、次第に強くなりながら響き渡る。天井からは砂埃が落ちてきて、リィナは身を屈めて咳払いをした。
「ねえ!誰か!ねえ!誰か!」
何度も叫んだが、爆発音はそれを遥かに上回っている。リィナは咽喉を痛めた。それでも、鉄格子に頭を摺り付けるようにして叫び続けた。
「ねえ!ねえ!ねえ!」
ふと、誰かが呼ぶのが聞こえた。はっとしてリィナは、呼吸を止めた。
あの僅かな窓から、外の慌ただしい様子が聞こえている。その音に交じって、確かにリィナを呼ぶ声がする。
「誰?」
リィナは振り返り、窓を見上げた。誰かいるような気配がする。その瞬間、窓から火が降ってきた。
それは松明だった。リィナは恐る恐るそれに近付いて、手に取って天井を照らした。
「トト!」
トトが見下ろしていた。
「リィナ!どうしてここに?」
「ねえ、何があったの?ここは何処なの?」
トトは、リィナの持つ松明の灯りに照らされた、リィナの後ろの鉄格子を見た。
「リィナ、ここは危険だ。もうすぐ崩れ落ちる」
「出られないの、鍵が……」
「僕もすぐそこに行く。そうだリィナ、確か、黒閃石を持っていたね?」
しばらくリィナは考えて、思い出し、はっとして胸を探った。
「あ、ある!」
「よし、鍵の鍵穴に、その石を当てて、ゆっくりと擦るんだ。柔らかい石だからすぐに粉が鍵穴に溜まる。そうしたら、遠く離れて、鍵穴に何かぶつけるんだ。鍵がばらばらになるくらい吹き飛ぶ筈だ。危険な作業だから慎重に、いいね」
「うん」
リィナが頷くのを確認すると、トトはすぐに消えた。リィナは、胸のペンダントを外して、ゆっくり鍵穴に近付いた。
落ち着いて、トトに言われた通りに石を削った。乾いた音と共に、石は見る見る削れて、粉は鍵穴に溜まった。この間にも、頭上では何かが崩れる音が響いている。リィナは、深呼吸の要領で、トトに言われたように慎重に、慎重に石を削った。
石の半分を残して、鍵穴は埋まった。リィナは手頃な物を探した。石か何か、と思っているとまた大きな音があって、今度は同時に振動があった。はっとして見上げると、天井の石が崩れかかっているではないか!
「わあ!」
リィナは飛ぶようにして鉄格子を離れた。ほぼ同時に、がらがらと天井の石が崩れて、次に鍵が物凄い音を立てて吹き飛んだ。
リィナは恐ろしくて、しばらく震えていた。ゆっくりと振り返り、見るともう鉄格子に付いていた筈の大きな鍵が、跡形も無くなっていた。リィナはゆっくりと鉄格子を押した。錆付いた音を立てて、扉が開く。慌てて飛び出して、辺りを見回し、右隣にも同じような鉄格子の扉があるのを認めた。
リィナは、呼吸を止めた。
リィナがいた部屋と同じ大きさで、そこに崩れた石が疎らに落ちている。その下は、一面、死体で覆われていた。色が無く、手足が細り、目は天を睨み付けて、腕が弱々しく、木の枝のように天を指している。死体は、死体の上に重なり、まるで容器に充たされた水を真似ているようだ。
リィナはすぐに目を背けた。が、ゆっくりもう一度だけ、顔を向けた。ゲンツがいるかも知れない。
だが、一番手前で、弱々しく天を目指して延びていた腕が、二、三度揺れたので、リィナは耐え切れずに、反対側へと走りだした。
廊下は思ったより天井が低い。延々と松明が続いていた。そして左側に鉄格子の扉も延々と続いた。リィナは松明の灯だけを追った。三十七、三十八、三十九……。やがて、松明の案内が途切れて薄暗い先に、階段が現われた。上に向かっている長い階段だ。
この間にも頭上の音は止むことは無い。それどころか、すぐ後ろでも天井が崩れているような音がしている。振り返りはしなかったが、きっとそうに違いない。トトが待っていてくれる筈だ、リィナは意を決して、階段に足を乗せた。
階段の先が薄明るく揺れている。ランプの灯であることは、すぐに分かった。何やら弓のような物を持った兵士が見えて、リィナは息を潜めた。ところが、またも頭上で何かが崩れる音がして、今度は目の前に大きな石が落ちてきたのだ。
「きゃっ」
と叫んで、しまった、とリィナは顔を上げた。ランプの灯がこちらに向けられた。
「誰だ!」
ところが、そのランプの灯はすぐに消えた。ばたんという音がした。兵士が倒れたようだ。
「リィナ」
「トト!」
声はトトのものだった。倒れた兵士の、その後ろから呼んでいるのだ。
トトは暗闇でも目が利くらしい。走り寄ってリィナの手を引いた。
「急いで」
「うん」
トトに強く引っ張られて、リィナは走って階段を登った。登り終えて思わず、トトの胸に倒れ込んだ。
「恐かった……」
リィナは、それまで溜め込んでいた涙を全部零した。トトはリィナを強く抱き締めた。その強さが、リィナは好きになった。
見張り塔に、チャルとセンテスは釘付けにされていた。ボウガンを構えた第八師団の兵士二人が二人の前に立って、寒くないか、腹は減らんか、済まないねこんな待遇で、等と腰の低い発言を何度もした。
「あ、見て、センテス先生」
チャルは、正門を指した。第八師団と第三師団が向かい合って、何やら緊迫した雰囲気が感じられる。
「どうなるんだろ」
「どうにもならんだろ」
見張り塔の木の床に、座りこんだままセンテスは、見もせずに言った。
「なあ、そう思うだろ」
兵士は、センテスの問いに速答した。
「あれは、ナト=コミュが降伏の手筈を整えている所です」
トトは、腰を落として慎重に工場の入口まで進み、ポケットから鏡を取り出して正門を伺った。
「しまった」
トトは舌打ちした。そしてリィナの方を振り返って、ふと、その向こうにも出入口があるのを発見した。
リィナも振り返ってみた。
「山が見える」
「そのようだね」
夜が更けると、空気毎寒くなってくる。この夜の寒さは、チャルは大嫌いだった。やはり、下半身が嫌な感触を覚えている。チャルは弱気に、
「寒い」
と呟いた。
誰かが梯子を登る音がする。兵士は覗き込むように顔を向けた。
「おーい」
「何だ?」
「そっちに、センテス先生、いるんだってな」
「ああ」
「ドゴバー師団長が呼んでいる」
その声を聞いてセンテスは、突然立ち上がった。
「来たか」
とだけ零して、急に表情が険しくなったのを、チャルは見逃さなかった。
チャルはセンテスと共に下へ降りた。書斎小屋に入るのは、これが二度目だ。チャルの目の前には、顔中ぼこぼこに腫れたネト=コミュと、厳しい表情でセンテスを見ているドゴバー第八師団長がいる。ドゴバーの手には束になった書類が持たれていた。
センテスは、ゆっくりと手を差し出した。ドゴバーは、書類を手渡して聞いた。
「それは、お前が書いたものか?」
チャルは、センテスの手の中の書類の一番表に、ゲンツ=ヤタタの名前を見付けた。
「何?」
チャルは覗き込んで、思わず息を止めた。センテスの手から、その一枚だけ強引に奪い取った。
「あっ、こら!」
ドゴバーの脇で控えていた兵士がボウガンを構えた。ドゴバーはそのボウガンを制すように、手を伸ばした。
チャルは目を疑った。
殉隊証明。ゲンツ=ヤタタは、今日の日付で、殉隊した……?
「どういうこと?」
ややあって、チャルは飛び掛かるようにドゴバーを問い正した。兵士のボウガンがそれを遮る。チャルは、そのボウガンにしがみ付くようにして、身を乗り出した。
「ゲンツが、なんで、死んだって、どういうこと?」