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2003-01-31
21:19
サブカルチャー 閑話休題
  ちょっと小難しそうに長い日記を書いてしまった。あんまり長いとモミーが読んでくれないので(多分、読んでいる途中で眠ってしまうんだろう)、短い話を。
鼻毛を抜いたら枝毛だったんです。

あ。
2003-01-31
10:58
時事・社会 ネットワーク ファイルローグ裁判
  ちょっと古いが「P2Pで著作権侵害なデータが流出した責任は、サービス提供側にあり」という判決が出るそうだ。
以前、Winnyというソフトの話を書いたときに「Winny自体に違法性はない」と断定したが誤りであった。訂正しといた。
Winnyの作者である47氏(本名不明)は、初心者向けだめ雑誌にまでURLが載ってしまった公式配布サイトを閉鎖。今後はWinny内で開発バージョンの公開を行うことになるだろう。

この判決は非常に問題がある。「P2Pサービスが著作権を考慮しなかった」=「P2Pサービスが違法」という意味なので、今後このようなサービスをする場合には著作権保護の機能をつけなければならない、ということになる。
ということは。
例えばオンラインゲームで「デジカメの画像を自分のキャラクタ画像にできる機能」を実現したとする。意味もなく携帯電話にCCDカメラがついている時代だ、そのようなサービスは今すぐにでもどこかの誰かがやってしまいそうだ。野村もやりそうだ。
だがしかし。デジカメの画像が実はアイドルの写真だったとしよう。当然、著作権違反だ。著作権違反が服を着て歩くゲームだ。すなわち、このサービスの提供者は責任を免れない。
VPNという言葉がある。Virtual Private Networkの略で、遠くのネットワーク同士を暗号化などして接続して、あたかも外からは接続できない同じネットワーク内にいるように見せる技術で、主に企業などで支店と本社を結ぶときなどに採用される。これを比較的安価に実現するために、インターネット網を使う場合もある。
ある日、ゲームか、あるいはグリッドコンピューティング技術で膨大な計算をすることを目的に、このVPNのような技術を使ってA氏とB氏のネットワークが接続されたと思いなされ。そのときA氏は偶然、B氏のネットワーク上のマシンに南野陽子の「吐息でネット」のMP3があることを発見。こっそりとダウンロードしてしまった。
B氏は違法だ。多分、A氏も違法だ。そして、今回の判決でこんな危険なVPNの技術を開発した会社も訴えられる……かも知れない。と野村は思った。

「悪いことを思いつく奴は、色々言い訳も上手いなー」とか思わないで、ちょっと考えてみて欲しい。良質な法の整備が早急に求められているのだ。
2003-01-30
20:53
雑談 終わりと始まり
  福岡にエクス・ツールスという会社があった。
時枝氏が開発した3D CGレンダリングツールを基に、「Shade」シリーズを生み出したソフトウェア会社であった。創設者は、日本で最初のAdobe正規ディーラーにして、「大戦略」などのゲームも輩出したシステムソフトの創設者である樺島氏。福岡のコンピュータ業界ではその名を知らないものはいない。
「Shade」は優れたレンダリングツールであった。だが、時流に乗り切れなかった。独特の概念と操作性が災いしたのと、ある程度ツールとして熟成してしまっていたことが仇となって、ここ数年は、魅力的なバージョンアップを演出できなかった。
終に、国産3D CGツールとしてはシェアNo.1の地位を保持したまま、「Shade」のエクス・ツールスは会社組織の存続を断念することになる。

野村の運命を少なからず変えた、エクス・ツールス社様。
色々ありましたが、とりあえずお疲れ様でした。

これでエクスの話は、おしまい。
そして、終わりと始まりについての簡単な報告をさせてもらおう。

野村の勤めている会社もまた、エクス・ツールス社ととても深い関わりがあった。というか主要取引先だった。「これから、おもしろいこと、いろいろやりましょうね」なんて話をしていたらしい。野村は個人的な感情からあまり関わりたくなかったのだが、会社は仲良しなのだからしょうがなかった。
……だから、というわけではない。だが、この会社は野村にとっては少々居辛かった。
それは、ここに至るまでの経緯がいけなかったのかも知れない。前の会社が大変なことになり、路頭に迷っていたところを前述の樺島氏に拾っていただき、席を用意していただいたのが、ここだった。それについては今も非常に感謝している。
だが、たった独りのWEBアプリケーション開発はとっくに限界だった。現状の福岡ではごまかしながら通用するかもしれないが、それでは目標として低すぎる。そのくせ、「面白いことをする」という目標は全く達成できていなかった。会社なのだから仕方ないのか、それとも野村を含めてそんなことを考える余裕がなかったのか。とにかく面白い企画を立ち上げる空気すらない、と野村は閉塞感に押しつぶされそうだった。怒涛の2002年、その年末だった。

そこへエクスの一件があった。

あれが合図となり野村のPHSが鳴りだした、というのが先週の話。風邪惹いて倒れていた話。茶化して書いてみたが、実はちょっと大変なことがあった、という話。

月曜、東京に行き、社長に会って退社の決意を話した。
「こういうことは、いつも決まってしまってからやってくる。そうなる前に何かしていれば、と考えてみるが大抵間に合わない」と社長がいった。正しいと思った。
退社するから東京まで会いに行ったのだ。それが事実。
そして、その足で以前より懇意にしてもらっていた会社に行った。
雇って欲しいと伝えた。

今週は、ずっとその返事を待っている。待ちながらも、福岡を離れる準備は着々と進めている。どうなるかはまだ分からないが、とりあえず終わりと始まりの話はここまで。
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